響板材について

響板はなぜ木製?

ヴァイオリン、ギター、ピアノ、ハープ・・・いずれも弦楽器です。弦楽器は「響板」によって弦の振動を音に変えます。だから響板は、楽器の音を左右するとても重要な部分です。

西洋の弦楽器の場合、ほとんどの響板が針葉樹の一種であるスプルース(Picea属)で作られます。スプルースには、シトカスプルース、アカエゾマツ、ドイツトウヒなど、いろいろな種類がありますが、いずれも音の伝わりが早く(5km/s以上)、振動吸収が小さく(内部摩擦が0.006以下)、比較的軽く(比重が0.4~0.5)、異方性が大きい(縦と横の違いが大きい)という特徴があります。これにより、与えられたエネルギーを効率よく音に変換することができます。なお、日本の琴に使われるキリも、音速が大きく振動吸収が小さいことがわかっています。洋の東西を問わず、弦楽器の響板に求められる特性は同じだと言えるでしょう。

では、スプルース材に近い材料を人工的に作れるしょうか?まず鉄(比重7.8)やアルミ(比重2.7)は重すぎます。プラスチックも比重が1.0前後と重い上に、内部摩擦が木材よりはるかに大きいので使えません。木材のような異方性(縦と横で性質が大きく違うこと)を再現するには、強化繊維(炭素繊維やガラス繊維)を樹脂で固めたFRPが有効ですが、そのままではやはり重すぎるので、樹脂の部分を発泡させて軽くしなければなりません。でも、強靭な強化繊維をスカスカの発泡樹脂で固めると材料が脆くなってしまいます。また、バイオリンの響板のような曲面を作ろうとすると非常に手間がかかり、値段も上がります。何より、木材のように手工具で加工することができないので「微調整」ができません。

木材の特定の性質を模倣するのは簡単です。でも、楽器の品質はさまざまな性質のバランスの上に成り立っているので、どれか一つの性質だけを模倣しても、良い楽器にはなりません。手間をかけて木材を模倣するより、いろいろな木材から良い木を「選ぶ」方が合理的です。ですから、弦楽器の響板が木材以外の材料で作られることは(おそらく)永久にないでしょう。

さて、木材は天然材料ですから、その性質にはばらつきがあります。同じ「シトカスプルース」でも、個体や部位によって性質が大きく異なります。ですから、ばらつきのある多くの材から「良材」を選べるかどうかが、楽器製作者の腕の見せ所でしょう。ピアノに関しては、音速が大きく、内部摩擦が小さい材が「良材」と評価される傾向があるようです。バイオリンに関しては、内部摩擦の大きい材を除外した上で、木目が緻密で揃った材を選ぶ人が多いようです。

則元 京: 木材学会誌, 28(7), 407–413 (1982)
Carlierほか: Revisiting the notion of ‘resonance wood’ choice: A decompartmentalized approach from violin-makers' opinion and perception to characterization of material properties’ variability,” in Wooden Musical Instruments – Different Forms of Knowledge, edited by M. A. Perez and E. Marconi (Cite de la Musique, Paris), 119–139 (2018)
Carlierほか: The role of tonewood selection and aging in instrument ‘quality’ as viewed by violin makers. in Proc. of 2nd Annual Conference of COST FP1302 WoodMusICK, edited by G. R. Ragnoni and A. M. Barry, September 9–10, London, UK, 35–37 (2015

弾き込むと音が良くなる?

楽器を長期間弾き続ける(弾き込む)ことによって楽器の質が良くなる、と信じている音楽家は少なくありません。ただ、それが科学的に証明された例はありません。もう少し正確に言うと、機械で測定できる客観的な性質(音量、楽器の材質など)が弾き込みによって変化することを示す証拠はないし、木材に限って言えば、それが起こる可能性はほとんどありません。

振動によって木材の繊維が整列するとか結晶化するとか、もっともらしいことを言う人がいますが、そういうことは起こりません。木材の細胞壁はとても頑丈にできています。また、楽器の振動によって生じる木材の変形は、非常に小さいので、それによって繊維の配置が変わることは絶対にありません。内部摩擦の大きいゴムならば、振動によって熱が発生し、温度が上がって変質する可能性がありますが、内部摩擦の小さい木材を振動させても、それによって大きく温度が変わることはないし、まして結晶化なんか絶対に起こりません。

加振(強制的に振動させること)によって木材の振動特性が変わるとする研究報告がいくつかあります。しかし、いずれも「加振した時の変化」だけを測定し、「加振しなかったときの変化」を測定していないので、その変化を加振によるものと断定できません。私の研究室では以前、それらの実験を再現しようとしたことがありますが、結局、できませんでした。おそらく、加振によって振動特性が変わったとする研究の多くは、別項で説明する「枯らしの効果」を、弾き込みの効果と見誤ったのだろうと思います。

祖父江信夫, 岡安繁: 木材の動的粘弾性の振動履歴効果. 材料 41(461), 164–169 (1992)
Hunt and Balsan: Why old fiddles sound sweeter. Nature 379, 681 (1996)

そもそも、音の良し悪しは響板の性質だけで決まるものではありません。毎日弾いている人なら、日によって音が違うと感じるはずです。湿度や温度が変われば空気中の音速が変わるし、音の聞こえ方も変わります。湿度が変われば楽器の振動特性も変わります。体調の影響もあるでしょう。人間の感覚にはかなり大きな「揺れ」があるので、それを除外して音の良否を評価するのは困難です。熟練した奏者でも、1カ月の間、体調や演奏が全く変わらない、ということはないでしょう。実際、厳密に行われたブラインドテスト(先入観が入らないように工夫された評価実験)の結果を見る限り、弾き込みの効果はほとんどないか、あったとしても「熟練した奏者ですら認識できないほど小さい」ようです。

Ra Intaほか: Acoustics Australia 33(1), 25-29 (2005)
Clemensほか: Savart J., 1-9 (2014)

「いや、それでもやっぱり弾き込むと音が良くなる気がするんだけどな」という方もたくさんおられるでしょう。ここでは「弾き込むと音が良くなる」理由をいくつか挙げます。

単なる「上達」

当たり前のことですが、毎日弾き込めば、上達して、良い音が出るようになるでしょう。それは木材の材質とは関係ありません。

湿度環境の変化

木材の振動特性は、湿度が大きく変化した後、時間をかけて徐々に安定した状態に近づきます(枯らしの効果)。たとえば、何年もの間、押し入れの中にしまってあった楽器を取り出し、リビングで毎日練習を始めたとします。押し入れの中とリビングでは湿度環境が違います(おそらくリビングの方が平均湿度が低いでしょう)。木材は、その新しい湿度環境に適応するように、徐々に材質が安定化します。このとき、音が良くなる方向に材質が変化すれば、それを「弾き込みの効果」と感じる可能性があります。この場合「弾き込むかどうかとは関係なく、時間の経過とともに音が良くなる」ので、厳密な意味での弾き込み効果ではないと言えます。

粘弾性変形

楽器は、住宅や家具に比べて華奢な構造です。ですから、弦の張力によってある程度変形します。ヴァイオリン属の弦の張力はピアノやハープほどではありませんが、それでも、弦を張っていない状態と張った状態では明らかに形が違います。もしヴァイオリンが金属製だったら、弦を張れば変形し、弦を緩めれば元の形に戻る、それだけです。金属は力をかけると変形し、力を取り除くと元に戻る「弾性体」だからです。木材もたいていは弾性体とみなせますが、厳密に言えば粘弾性体です。つまり、液体のような性質を少しだけ持っています。力を加えた後、すぐに力を取り除けば、形が元に戻りますが、長時間、力を加え続けると、わずかながら徐々に変形していきます。そして、その変形の一部は、力を取り除いても元に戻りません。

長い間弾かないときは、たいてい弦を緩めます。その状態で長期間、放置すると、楽器は「弦を張る前の状態」に戻っていきます。これを引っ張り出して弦を張ると、弦の張力によって楽器が変形し、時間とともに一定の形状に近づいていきます。このとき、音が良くなる方向に形状が変化すれば、それを「弾き込みの効果」と感じる可能性があります。この場合、弾くかどうかとは関係なく、時間の経過とともに音が良くなるので、厳密な意味での弾き込み効果ではないと言えます。

弦と直接接触する部分の変形

弦楽器には、弦の振動を直接受け止める部分があります。弦と接触する駒や指板です。長い間、弦を緩めた状態で放置されていた楽器を弾き始めるときは、弦やそれを受ける部分が弦の振動によってわずかに変形し、接触点での「当たり」が落ち着いてくる可能性があります。振動によって部材のかみ合いが落ち着く現象は、様々な機械でも見られます。もしそういうことが起こるのなら、弦の振動が直接影響を与えているという意味で、正真正銘「弾き込みの効果」と言えるでしょう。

指導者の方へ

弾き込んでも、木材の材質は変わりません。ただ、楽器を演奏するといろいろな部分が変形します。弦を張れば楽器は変形します。張力が一定であっても、変形は徐々に進行します。周囲の湿度が変わると、響板の振動特性がかなり大きく変化するし、木材が湿気を吸ったり吐いたり(膨らんだり縮んだり)すれば楽器はやはり変形します。部屋の湿度が一定であっても、ヴァイオリンの胴の内側では奏者の呼気によって湿度が上がり、木材が膨張し、楽器が変形し、振動特性が変わります。このように、楽器を弾き込まなくても、弦を張ったり楽器を構えたりするだけで音が変化する可能性は無数にあります。指導者の方には、その点をよく理解しておいて頂きたいと思います。

1) 振動させただけで木材の性質が変わることはない。間違っても繊維の整列だの結晶化だのは起こらない。
2) 長い間弾いていなかった楽器を引っ張り出して弦を張れば、たとえ弾き込まなくても音が徐々に変化する可能性がある。

毎日弾き続ければ上達するし、科学的根拠はどうあれ、音は良くなる・・・それでいいのではないでしょうか。木材の繊維が整列するとか、結晶化するとか、そんなデタラメを吹聴する必要はありません。

古くなると音が良くなる?

「楽器は古くなるほど音が良くなる」と言われることがあります。実際、工業製品と違って、高級弦楽器の値段は古くなっても下がるどころかむしろ上がります。ですから木製弦楽器の品質が「古くなってもあまり劣化しない」のは間違いなさそうです。ただ残念ながら人間の寿命には限りがあるので、楽器の質の変化を数百年にわたって観測した例はありません。

「古い楽器は新しい楽器より良い音がする=古くなると音が良くなる」と言う人がいますが、それは少々乱暴です。現存する古い楽器は、数百年の間に、何百台もの楽器の中から選ばれ、大切にされてきた楽器であり、最初から「ずば抜けて質の高い」楽器です。また、そういった楽器の多くは、数百年にわたる使用の間に様々な補修が繰り返されています。ですから、古い楽器と新しい楽器を単純に比較して、「古くなるほど音が良くなる」と結論付けるのは論理的ではありません。

「木材が古くなるとどうなるか」は科学者にとっても重要なテーマです。木材科学の分野では、木材の性質が時間とともに変化する現象を「老化」と呼んでいます。劣化ではなく老化と呼ぶのは、古い木の方が優れる場合もあるからです(人間と同じです)。これまで、多くの研究者が、木材が老化するしくみの解明に取り組んできました。なぜそれが大事かと言うと、木材を永く使うためには100年後、200年後の材質を予測して設計する必要があるからです。そもそも木材は、乾いた状態ならば非常に長持ちする材料です。法隆寺の五重塔は建立から1400年以上経っています。古代エジプトで6000年前に作られた木製品は今でもその形を保っています。鉄は錆びますが木は錆びません。鉄筋コンクリートの寿命は50年、頑張っても100年です。木は長持ちしない?とんでもない!

これまで多くの研究者が、古い木材と新しい木材を比較することで、老化の影響を議論してきました。下の図は、過去の研究結果を針葉樹(スプルース、ヒノキなど)に限ってまとめたものです。図の縦軸は「比ヤング率」です(複数の結果を比較するため、相対値=古材の値÷新材の値で表しています)。比ヤング率は材料を伝わる音の速さに関係し、この値が大きいほど響板から出る音が大きくなります。さて、下の図を見て「古いほど良く響く」と言えるでしょうか?残念ながらそれは無理です。こんなバラバラの点々をいくら眺めても、はっきりした傾向は見えてきません。ではなぜこのように値がばらつくのでしょうか?それは、木材が天然材料だからです。古い木の「元の性質」がわからない以上、古い木と新しい木をいくら厳密に比較しても、はっきりした結論は出ません。では、木材研究者はもう、老化の研究を諦めてしまったのでしょうか?いえいえ、そんなことはありません。

数百年にわたる変化を正確に知りたければ、数百年待てばよいのですが、それは面倒です。ですから、通常は温度を上げて変化(たいてい劣化)を加速し、その結果から常温での劣化を予測する「促進劣化試験」が行われます。高分子材料(プラスチックなど)の多くは、時間とともに徐々に劣化します。これは、酸化や加水分解などの様々な化学反応に伴って分子が切れていくからです。木材や紙も、プラスチックと同じ高分子材料ですから、高分子材料の変化を予測できるなら、木材の変化も予測できるはずです。ただ木材の場合、単に温度を上げただけでは正確な予測ができません。木材の中で起こる様々な化学変化は、温度だけでなく「湿度」にも影響されるからです。最近Zeniyaらは、ヴァイオリンやピアノの響板に用いられるスプルース材を用いて促進老化試験を行い、厳密な老化の予測を試みました。その結果が下の図です。なお「内部摩擦」とは振動吸収能を表す値で、これが小さいほど音量が増し、残響が長くなります。弦楽器響板の場合、比ヤング率が大きく、内部摩擦が小さいほど、与えられたエネルギーが効率よく音に変わる、つまり「よく響く」ことがわかっています。

結論を言えば、「楽器は古くなるほど良く響く」ことが確かめられました。ただし、古ければ何でも良いわけではありません。まず湿度が0%(カラカラに乾いた状態)では材質がほとんど変化しません。悪くもなりませんが良くもなりません。オーブンでこんがり焼いた木材を「人工古材」と呼ぶ人がいますが、見た目が似ているだけで、古材とは質が違います。では湿度が高かったらどうでしょうか?湿度が92%の場合、最初の40年間で比ヤング率が増加し、内部摩擦が低下すると予測されるので、音が響くようになるはずです。でもそれ以降は急激に比ヤング率が低下し、内部摩擦が増加します。つまり、劣化します。そもそも、そんな高い湿度で木材や楽器を保管しようとすると、腐ったり虫に喰われたりします。また、高い湿度で保管し、低い湿度で演奏する、というのも現実的ではありません。湿度が変わると木材の寸法が変化するので、湿度を変えるたびに楽器のあちこちがゆがんだり接着した部分が剥がれたりするでしょう。したがって楽器にとって最も望ましい湿度は、中程度の湿度(30~70%)だと言えます。この環境では、楽器が腐ることもゆがむこともなく、時間とともに比動的ヤング率が増加し、内部摩擦が低下します。つまり「古くなるほど良く響く」ようになります。言い換えれば「古くなるほど良く響くようになるのは、中程度の湿度環境に限られる」ということです。くどいようですが「古ければ何でも良い」わけではありません。

最後に楽器の値段に影響する色の変化についても説明しておきましょう。木材が古くなると、振動特性だけでなく色も変化します。具体的には、色が暗くなり、赤みが増します。このような色の変化も、温度-湿度-時間換算則を使えば正確に予測できます。下の図は、スプルース材の色の「明るさ」と「赤み」の変化を予測したものです。図中の黒い点は、様々な寺院から集められたヒノキ古材の値です。35~63%RHで予測した結果が、現実の古材の色にとても近いことがわかります。この結果は、楽器に限らず、木製文化財の補修に使う古材を人工的に再現したり、将来の色変化を予測したりするのに役立ちます。

このように、最近の研究により「中程度の湿度に保たれた木材は、古くなるほど良く響くようになる」ことがわかりました。カラカラでもジメジメでもなく「中程度の湿度」です。極端に低いあるいは高い湿度を避け、中庸な湿度で楽器を使用・保管することは、狂いやゆがみを防ぐだけでなく、老化の効果を高める意味でも重要です。ただ、老化の効果は限定的です。比ヤング率や内部摩擦の変化はいずれも数%であり、このようなわずかな変化を聴き取れる楽器製作者や奏者は少ないでしょう。では「古くなると音が良くなる」はやはり都市伝説なのでしょうか?いえ、そうとも限りません。実は、時間にはもう一つ別の効果(枯らしの効果)があるのです。これについては別の項を参照してください。

小原二郎: 西京大学学術報告, 6, 164–174 (1954)
Yokoyamaら: Comptes Rendus Physique, 10, 601–611 (2009)
Noguchiら: J.Cultural Heritage, 13S, S21–S25 (2012)
Kranitzら: Mater.Struct., 47, 925–936 (2014)
Zeniyaら: SN Appl.Sci., 1, https://doi.org/10.1007/s42452-018-0009-8 (2019)
Zeniyaら: SN Appl.Sci., 1, https://doi.org/10.1007/s42452-018-0004-0 (2019)
Matsuoら: Holzforschung 65, 361–368 (2011)

木材は「枯らす」と良く鳴る!

楽器に限らず、木材で何かを作るときは、まず木を乾かします。湿ったままで何かを作ると、乾くときに縮んだり、反ったり、ねじれたり、ひどい場合は割れたりするからです。そして、特に精密な加工が要求される楽器や工芸品の場合には、ただ乾かすだけでなく、乾いた状態で数年以上、保管されます。この工程は「枯らし」と呼ばれています。これにより、樹木の成長過程や乾燥過程で木材の中に蓄積された様々な力(成長応力、乾燥応力)が緩和し、加工した時にゆがんだり狂ったりしなくなると考えられています。

一方、木材はもともと化学的にとても安定した材料なので、数年の「枯らし」の間に著しい化学変化が生じることはありません。そのため、木材科学の分野では「枯らしによってゆがみや狂いはなくなるが、材質は変わらない」と考えられてきました。ところが最近、木材の材質、特に楽器の品質に深く関わる振動特性が、枯らしによって変化することがわかってきました。

弦楽器の響板に使われるスプルースの生木(伐ったばかりの状態)から薄い板(厚さ3 mm)を切り出し、温度と湿度が一定(20℃、60%RH)の環境で乾燥します。そして、断続的に水分量と振動特性を測ります。その結果が下の図です。なお含水率とは、木材に含まれる水の量をカラカラの木材を100として表した量で、通常の乾いた環境では10~15%です。音速は、木材の木目に沿って音が伝わる速さで、内部摩擦は、振動を吸収する性質を表す量です。一般に、音速が大きく、内部摩擦が小さい木材ほど、響板から出る音が大きくなります。大きな材木を乾かすには何カ月もかかりますが、薄い板ならすぐに乾きます。つまり、100%を超える生木の含水率が1日で25%に、2日で12%に下がり、その後はほとんど変化しません。2日でほぼ完全に乾いたと言えます。本来、含水率が変わらないなら材質も変わらないはずです。でも、図を見ると、木材が乾いた後もなお音速が徐々に増加し、内部摩擦が徐々に低下することがわかります。これらの変化は、木材が「より響くようになる」ことを意味しています。しかも、このときの内部摩擦の変化(20%の低下)は、数百年にわたる老化の効果(最大でも数%の低下)よりはるかに大きいのです。水分の量は変わらない、化学変化も起こっていない、でも木材がより響くようになる・・・これはいったいどういうことでしょうか?

このような「枯らしの効果」は、木材を構成する高分子の「物理エージング」によるものと考えられます。物理エージングとは、化学変化を伴わない、高分子の構造変化によって生じる材質の変化で、多くの高分子材料(プラスチックなど)で起こる現象です。なお、数百年にわたる「老化」は、酸化や加水分解などの化学変化によって起こる変化なので、物理エージングと区別して「化学エージング」と呼ばれます。「だるまさんがころんだ」と言われたら、不自然な姿勢で動きを止めなければなりません。そのまま放置されたらどうなるでしょうか?数分なら我慢できるでしょうが、よほど体幹の強い人でない限り、だんだん楽な姿勢に変わっていくはずです。物理エージングはそれに似ています。溶けたプラスチックを型に入れて冷やすと、グラグラ動いていた分子が不安定な状態で「凍結」されます。そして、時間とともにより安定した構造へ変わっていきます。材料によっては、その過程で硬くなったり脆くなったりします。これが物理エージングです。木材の場合には、熱したり冷ましたりするわけではありませんが、湿って膨らんだ状態の木材が乾燥する際には、木材中の高分子が不自然な状態で凍結されると考えられます。そして、時間とともにより安定な状態に変化し、その過程で音速が上がったり内部摩擦が下がったりする、これが現時点で最も可能性の高い「枯らしのしくみ」です。

さて、この「枯らし=物理エージング」は仮説に過ぎません。木材中の高分子の形を直接観察することができないからです。でも、もしこの仮説が正しいなら、枯らしの効果は湿気を吸わせることでリセットされるはずです。つまり、枯れた(安定化した)木材を高い湿度にさらして十分に湿気を吸わせれば、最初の(生の)状態に戻せるはずです。上の図の右端にある●は、半年間の枯らしを経た後、湿度100%でいったん湿気を吸わせ、2日間乾かしてから測定した結果です。予想通り、枯らしの効果が消失しました。つまり、枯らしは、効果は大きいけれど、湿気を吸うとリセットされるような「一時的、可逆的な現象」であり、数百年の老化(不可逆的な化学エージング)とはしくみが異なると言えます。フランスのCarlier博士が多数の弦楽器職人に対して行った聴き取り調査の結果では、ほとんどの職人が「数百年の老化よりも、最初の(少なくとも)5年間の枯らしの方が重要である」と答えています。これは理にかなっていると言えるでしょう。

枯らしの効果は湿気を吸わせるとリセットされます。これは、楽器を扱う上でとても重要なことです。長期間、乾いた環境に置かれていた木材は、枯らしの効果によって「響く」状態になっています。ところが、風呂場で長時間練習したりすれば(そんな人はいないと思いますが)、枯らしの効果がリセットされ、せっかく響くようになった楽器が響かなくなってしまうと予想されます。これを確かめるために、世界各国の楽器製作者から譲って頂いた響板材を使い、吸湿処理(湿度100%で長期間湿気を吸わせてから乾燥)の前後で振動特性を比較してみました。下の図はその結果です。比較的新しい木材(N、S1)は、まだ枯らしが不十分なため、吸湿処理をしても振動特性があまり変わりません。一方、5~300年経過した木材(S2~S15)は、吸湿処理によって音速が最大で1.5%低下し、内部摩擦が最大で18%も増加しました。つまり、吸湿処理によって枯らしの効果が消失し、木材が「響かなく」なりました。これを元の「響く」状態に戻すには、少なくとも数年間、枯らし直す必要があると考えられます。

楽器を高い湿度に長時間さらしてはいけません!などと言うと、たくさんの方から「知ってるよ!」とツッコミが入るでしょう。「楽器がゆがむから」「接着剤が剥がれたりするから」それもあります。「木が湿ると鳴らなくなるから」確かにそうです。湿気を吸うと、音速が下がり、内部摩擦が上がるので、響かなくなります。でも、それだけなら乾かせば元に戻るはずです。問題は、いったん湿気を吸って枯らしの効果がリセットされたら、それを元に戻すためには同じだけの時間、枯らさないといけない、ということです。20年間の枯らしの効果を取り戻すためには、20年かかります。だから、やはり弦楽器は中庸な湿度で管理するのが最良です。

Obatayaほか2名: J.Acoust.Soc.Am. 147(2), 998–1005 (2020)
Struik: Physical Aging in Amorphous Polymers and Other Materials. Elsevier, Amsterdam (1978)
Carlierほか2名: The role of tonewood selection and aging in instrument ‘quality’ as viewed by violin makers,” in Proc. of 2nd Annual Conference of COST FP1302 WoodMusICK, edited by G. R. Ragnoni and A. M. Barry, September 9–10, London, UK, pp.35–37 (2015)

ストラディヴァリのニスの秘密w

ストラディヴァリの音色が「特殊なニスによるものだ」と考えている音響学者や材料学者はほとんどいません。

なぜ塗装するのか?

ヴァイオリンを始めとする弦楽器の多くは、シェラックやコーパルといった天然樹脂や、ニトロセルロースのような半合成樹脂で塗装されます。塗装によって音色が良くなると言う人もいますが、塗装によって響板の音響変換効率が低下し、響きが損なわれるため「塗装しない方が良い」と言う楽器製作者も少なくありません。したがって塗装の目的は、1) 響板の物理・化学的保護、2) 美観の付与と保持、3) 湿度変動に対する響板の材質安定化、であると考えられます。

弦楽器用の塗料

弦楽器の塗装には、油脂や樹脂だけでなく、染料や顔料など非常に多くの化合物が用いられ、その配合や塗布の方法は、楽器製作者によっても、時代によっても異なります。弦楽器用のニスは、オイル系とアルコール系に大別されます。オイル系ニスは、種々の樹脂を高温のテレピン油や亜麻仁油に溶かしたもので、古楽器の多くに使われています。緩慢な油脂の重合を伴うため、音が落ち着くまでに時間がかかると言われています。樹脂としては、コロフォニウム(ロジン)、サンダラック(Tetraclinis articulataから採れる樹脂)、コーパル(半化石化した樹脂)、マスティック(Pistacia lentiscusから採れる樹脂)などがあります。一方、アルコール系ニスは、シェラック等の樹脂をエタノールに溶かしたもので、オイル系ニスに比べて乾燥が早く、短い間隔で塗り重ねることができるため、近代以降の楽器に広く使われています。シェラックはラックカイガラムシが分泌するポリエステルの混合物で、主にアロイリット酸とテルペン酸からなります。楽器製作者は、独自のレシピに基づいて様々な樹脂を混合しますが、樹脂のガラス転移温度に大差がなく(約50℃)、混合によってもそれがほとんど変化しないことから、レシピの違いが響板の振動特性を左右することはないと考えられます。様々なレシピは、音の違いよりも、塗りやすさや色などに基づいて作られるものと考えられます。

ストラドのニス

塗装が音色に与える影響については、製作者や演奏家にとって古くからの関心事でした。特に、ストラディヴァリの手によるいわゆる「名器」については、そのニスに秘密があると信じている人も少なくありません。実際、名器に塗られた無機フィラーがその輝かしい音を生み出すとの主張や、それを模倣して名器を再現しようとする試みもあります(失敗に終わりましたw)。

ただ、古い楽器は後に補修されたものが多く、製作当時の状態が保たれている楽器はむしろ稀です。保存状態の良い楽器を対象にした最近の研究によれば、ストラディヴァリが用いたニスや染料は、同時代に用いられていた一般的なものと大差ないそうです。「ストラドの秘密のニス」は、都市伝説の域を出ていません。

恥ずかしげもなく「ストラドの秘密」を語る科学者の多くは、材料学者でも音響学者でもなく、化学者です()。

そもそも、木製弦楽器の音は楽器の形状や木材の振動特性に大きく左右されます。手作業で作られる楽器の場合、その形状を厳密に揃えることは不可能です。また、木材が天然材料である以上、その振動特性にはばらつきがあります。しかも、木材の振動特性は湿度に強く依存し、経年によっても変化します。したがって、異なる楽器(たとえばストラドと現代の楽器)を単純に比較し、その音色の違いをニスの違いで説明しようとするのは、あまり論理的ではありません。

そもそも、高度な分析機器を使わなければ検出できないような「微量成分」が楽器の音を左右するのは考えにくいことです。また、その手の研究は多くの場合、ストラドだけを分析し、同時代の他の楽器については分析していないので、その微量成分が「ストラドだけに含まれている」ことを証明できません。もし、ストラド以外の楽器にも同じ成分が含まれていたら、それはもう、ストラドの秘密でも何でもありません。

そもそも、さまざまなブラインドテスト(先入観が入らないように工夫したテスト)の結果は、「ストラドは特別」という評価自体が怪しいことを示しています。

そもそも、ひとことでストラドと言っても、製作年代によって音が全然違います(アマチュア奏者でもわかります)。それを「ストラド」と一括りにすること自体、論理的ではありません。

ニスが楽器の音に与える影響

Meinelによれば、ニスの塗布によって音色(音のスペクトル)はほとんど変化しませんが、音量は若干低下します。この音量低下の主因は、響板の内部摩擦(1/Q)の増加によると考えられます。内部摩擦とは、材料の粘性を反映する定数で、高分子の分野で頻用される力学的損失正接(tanδ)と同じです。弦楽器の響板に用いられるスプルース材の内部摩擦は、繊維方向で0.005~0.006、放射方向でも0.02程度ですが、塗膜樹脂の内部摩擦は多くの場合0.05以上なので、塗装によって響板の内部摩擦は増加します。弦楽器の場合、響板のたわみ振動によって音を放射するため、塗膜が薄くてもその影響は無視できません。楽器製作者の多くが、ニスを極力薄く塗ろうとするのは理に適っています。

さて、響板の内部摩擦が小さいと、音が大きく、余韻が長くなりますが、ヴァイオリンのような擦弦楽器の場合、ギターのような撥弦楽器と違い、弾き方次第で自由に音量を制御できるので、音量や余韻の長さは大きな問題ではないと考えられます。一方、下の図に示すように、内部摩擦は音の減衰だけでなく立ち上がりも左右します。つまり、響板の内部摩擦が大きいと、音量は小さくなりますが、音の立ち上がりは早くなります。塗装の効果は、音量や音色(音のスペクトル)よりもむしろ、音の立ち上がりに顕れるのかもしれません。

無垢の木材については、異方性に由来する内部摩擦の周波数依存性が、特徴的な音の立ち上がりを生じることがわかっていますが、塗装に伴う立ち上がりの変化について検討した例はありません。下のグラフは、シェラック(S)を含む数種の樹脂について、内部摩擦の周波数依存性を示したものです。内部摩擦が大きいほど音が小さくなるので、このグラフは、塗装によるフィルター効果を表していると言って良いでしょう。

シェラックや漆(JL)、ニトロセルロース(NC)、ポリウレタン(PU)のような、比較的硬くてガラス転移温度が高い樹脂は、内部摩擦が小さく、かつ周波数特性がフラットです。このような樹脂を響板に塗布しても、音色(音のスペクトル)はあまり変化しないと考えられます。一方、ガラス転移温度が低く、比較的軟らかい樹脂(AU1、AU2)を塗布した場合、低周波域における内部摩擦の増大により、低音の音量が低下すると同時に低音の立ち上がりが早くなると予測されます。つまり、適切な樹脂の選択により、楽器の音色や立ち上がりをある程度制御できる可能性があると言えます。

Obatayaほか: Acoust.Sci.Technol. 22(1), 27-34 (2001)
小幡谷英一: 接着学会誌 52(10), 316-320 (2016)