すばらしき育林
みなさん、育林学研究室50周年、おめでとうございます。
常にたくさんの学生がいて,フィールド調査もみんなで手伝う育林。すばらしい研究室で、大好きです。
そもそも、筑波大学の前身は東京教育大学です。1949年の新制大学発足により,東京文理科大、東京高等師範、東京農学教育専門学校などが包括されて東京教育大学ができました。そこには農学部もあり、その中に林学科がありました。もちろん,育林学研究室がそこにありました。初代教授は河田杰氏、次は山内倭文夫氏です。次に筑波大学で初代育林教授でもあった陣内巌氏、そして大庭喜八郎氏、次いで私、上條隆志教授と続いています。
陣内先生は林木育種学の専門家でしたが、先生の「幅広い教育を」という理念で、遺伝育種以外でも、樹木生理学、森林生態学、森林動物学など、多様な分野を希望する学生を受け入れてきました。もちろん専門外の内容では、十分な指導はできなかったかもしれません。そこは、森林総研や環境研など外部の指導をいただいたり、大学院生に指導を手伝ってもらったりして、なんとかやってきました。
いろいろな学生がいましたね。論文が終わらないで、研究室に泊まりこんでがんばる学生。酒を呑みすぎて、レポート提出が遅れた学生。同じ研究室の子を好きになって、イチャイチャする学生。まじめ一筋で、とにかく勉強・研究しかしない学生。それぞれみんな精一杯楽しんで研究室を卒業して行きました。
そもそも東京教育大学の筑波移転は、首都機能分散の一環として、いろいろな研究機関を東京外に移転させようと始まったもので、移転先として那須高原、富士山麓とともに候補になったのが筑波でした。那須や富士は噴火の恐れがあるということで、筑波に決まったということです。その当時、筑波は不毛の地で耕作ができず、マツ林と湿地だらけでした。耕作ができないのなら研究学園都市にしてしまえということで、その中核として筑波大学ができました。あれから50年経過したと思うと、感慨無量です。
長野県野辺山と静岡県井川に演習林があり、実習や研究で大いに利用しました。懐かしい思い出もたくさんあります。樹木実習で、そのころ観光地でキャピキャピの女の子のたくさんいる清里の町を大きなビニール袋にいっぱいの樹木標本を持って大勢で歩いたこと。木に登って枝打ちをするときに、枝をつかんで体を支えてる左手に気をつけろと言ったそばから、指にナタを下ろす学生。山の細い道で伝言ゲームで木の名前を教えているのに、後ろの方から「聞こえないのでもっと大きな声でお願いします」と言われたこと。上から落石があるから注意するように言った途端に目の前に石が落ちできたこと。樹木実習最後の日の前夜は、みんな寝ないで樹木の名前を覚えることに必死でしたね。みんな楽しい思い出です。
この先、育林学研究室(いまは森林生態環境学研究室)はどうなるのでしょう。きっと上條先生がさらにすばらしい研究室にしてくださると思います。それには、もちろん学生諸君の頑張りが必須です。OB・OGの方々も陰に日向にのご支援をよろしくお願いします。
2025年に育林研は50周年を迎えます。そこで記念イベントとして同窓会を企画します。育林研に関係する皆様,同期をお誘い合わせの上,お気軽にご参加下さい。みなさまのご来場をお待ちしています。
中村 徹