テーマ: 天津神のルーツ 天地開闢の渦
日本人のルーツを辿ってゆくと、日本神話の最初の天津神である天之御中主神まで遡れます。
「日本のルーツ筑波山」いい・のみち (2021)を参考にしました。タイトルが良いですね。
この著書のベースとなった秀真伝(ホツマツタヱ)は今のところ偽書とされていますが、
近年の発掘調査から信じるに足る部分も多数あります。秀真伝では天孫降臨前の高天原の神々も、
我々の御先祖様であり人として記載されています。イサナギとイサナミの2柱は
筑波山麓(秀真国ほつまのくに)で結ばれたと記載されています。
イサナギとイサナミを含む天津神のルーツは天之御中主神です。混沌とした天地開闢で、
渦の中から現れたこの最初の神は、天の中心の最高神として北極星に象徴されます。
北極星周辺の日周運動でその渦をイメージしました。天皇とは「天の輝き」のことで、
北極星のことだそうです。皇室のルーツは天照だから太陽です。皇室の菊の御紋は、
実は天照の太陽です。その天照(太陽)を含む天津神のルーツは天之御中主神(北極星)となります。
昔なら右翼と言われたでしょうが、日本人のルーツを勉強すると日本人なら誰でもたどり着く妄想になりました。
自分のルーツが気になって始めた日本人のルーツを探る妄想の旅も、ここまでが限界です。
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「日本のルーツ筑波山」 天孫降臨
今から7300年前の縄文時代に、九州の鬼界カルデラ大噴火が起こり、西国が壊滅状態になると、 被害を免れた東国の縄文人が日本人の祖先となった。東国の日高見国の中で筑波山周辺は 秀真国(ほつまのくに)と呼ばれていた。秀真伝(ホツマツタヱ)によると日本神話の 天地開闢では、最初に現れた天津神はクニトコタチ神で、同一名の神が複数いた。 アメノミナカヌシが最初のクニトコタチとされる。古事記では アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビが造化三神となる。 天津神5代目のタカミムズビは日高見国の王。天津神6代目のオモタルは秀真国(大子町)にいた。 根国(北陸地方)の皇子イサナギと、日高見国(東北地方)の皇女イサナミは、子のいないオモタルのはからいで 筑波山麓の伊佐宮(いさのみや)で結ばれた。イザナギ・イザナミは、筑波山の麓を流れる イサ川(今の桜川)から少し離れたイサ宮でお互い縁結びをし、イサ宮に因んでイサナギとイサナミを名乗り、 天津神7代目として即位し皇統を繋いだ。この2柱は国生み・神生みを行うが、これは筑波から見た西国開拓であり、 寒冷化に伴う西国への移住を伝えている。国生みでは「おのころ島」は筑波山のことで、 ここを拠点に西国の近江、畿内、淡路島、四国、九州、佐渡を開拓した。 その際にワカヒメ(ヒルコ)は筑波で生まれているが、アマテルは富士山で生まれ、ツクヨミは筑紫で生まれ、 スサノオは和歌山で生まれた。これが三貴子の神生みである。西国開拓の背景には約4千年前の縄文寒冷化があった。 ニギハヤヒ命の畿内への天孫降臨や、ニニギ命の九州への天孫降臨も西国開拓の一環であった。 天津神10代目の瓊瓊杵尊の天孫降臨は、高天原のある鹿島から鹿児島への舟による西国移住を伝えている (田中英道「New History」から引用)。 天孫降臨まえの神々は天津神(あまつかみ)と呼ばれ、地上(葦原中国)に降り立った神は国津神(くにつかみ)と呼ばれる。 神武東征により大和で即位し初代天皇となる神武天皇は瓊瓊杵尊の子孫であり、皇室の祖先はこうして現人神となった。