日本語動詞の他動性と格助詞* 杉本 武 (九州工業大学) 1. 日本語の他動詞構文 日本語で「他動詞構文」と言った場合は、次のようなものが典型的なものとして挙げ られよう。 (1) 太郎が花瓶を壊した。 この文は、「〜が〜を〜」という構文をとり、「〜が」(主語) が示す動作主が意図的な 動作を行い、「〜を」(目的語) が示す対象を変化せしめるという意味を持つ。このよう な文に対して、次のような文はどうであろうか。 (2) 太郎が川を渡った。 この文も、「〜が〜を〜」という構文をとり、「〜が」が示す動作主が意図的な動作を 行うが、「〜を」が示す対象には、何ら変化をもたらさない。 これらに対して、次の文の場合、「〜が〜に〜」という構文をとるが、「〜が」が示 す動作主が意図的な動作を行い、「〜に」が示す対象に (変化とまで言うかはともかく) 何らかの影響を及ぼす。 (3) 太郎が父親に反抗している。 この意味において、(3)の動作のあり方は、(2)よりも、(1)の動作のあり方に近い。 先に述べた「動作主が意図的な動作を行い、対象を変化せしめる」ということは、 「他動性(Transitivity)」と呼ばれ、動作 (出来事) のありさまを示す概念である。こ の「他動性」は、格助詞や、自動詞、他動詞、受動文といったヴォイス、アスペクトな どの様々な文法現象に関わってくる。本発表では、この「他動性」の概念と日本語の格 助詞、特に「を」と「に」との関わりを見ていくことにしたい。 2. 「他動性」とは 1.で大雑把に示した「他動性」の概念は、自動詞に対する他動詞の概念と一致するか のように見えるが、自動詞、他動詞は、他動性の形態的、構文的現れであり、他動性は、 この自動詞、他動詞の概念を含み込むものである。「他動性」は、むしろ意味的概念で ある。ヤコブセン(1989, p.217)は、「論理学的定義」に対して、「他動性」の「伝統的 定義」として、次のような「意味要素」を挙げている。 (4)(a) 関与している事物(人物)が二つある。すなわち、動作主(agent)と対象物 (object)である。 (b) 動作主に意図性がある。 (c) 対象物は変化を被る。 (d) 変化は現実の時間において生じる。 また、Hopper & Thonmson (1980, p.252) は、次のような他動性のパラメーターを示し - 26 - ている。 (5) 高 低 A. 参加者 参加者が2かそれ以上 参加者が1 AとO B. 運動性 動作 非動作 C. アスペクト 完了 非完了 D. 期間性 瞬間 継続 E. 意志性 意志的 非意志的 F. 肯定性 肯定 否定 G. ムード 現実 非現実 H. 動作主性 Aの能力が高い Aの能力が低い I. Oの影響性 Oが全体的に Oが影響を 影響を受ける 受けない J. Oの個別化 Oが高度に Oが個別化されて 個別化されている いない この他動性の概念に従うと、次の(6)は自動的(非他動的)表現、(7)は他動的表現であ ることになる。 (6) 雨が降っている。 (7) 太郎が手紙を破った。 (6)は、参加者が 1で、意図性がなく、変化も受けない。これに対して、(7)は、参加者 が動作主と対象の 2で、動作主に意図性があり、対象は変化を受ける。 さらに、この「他動性」の概念で重要なのは、それに「程度」があるという点である。 例えば、次の三つの文を比べてみよう。 (8) 太郎がわざと花瓶を壊した。 (9) 太郎が誤って花瓶を壊した。 (10) 花瓶が壊れた。 (8)(9)の文は、他動詞「壊す」を用いた他動的表現であり、(10)の自動的表現(非他動的 表現)とは異なり、他動的である。しかし、(8)と(9)とを比べた場合、(8)の方が他動性 が高い。それは、前者が意図的な動作であるのに対して、後者が非意図的な動作である からである。この他動性の「程度」は、先の他動性の条件を全て満たす場合を他動性の 「原型(Prototype)」とすると、その原型からのへだたりと捉えることができる。 なお、他動性の定義からもわかるように、本来、他動性とは句に関するものであるが、 本稿では、「動詞の他動性」「格助詞の他動性」のような言い方もする。これは、句の 他動性が、動詞や格助詞に反映する、あるいは逆に、動詞や格助詞の他動性が句に反映 すると考えての言い方である。 3. 全体性と「を」 Hopper & Thompson (1980) では、「影響の全体性」というものが他動性のパラメータ - 27 - ーとして挙げられている。日本語の格助詞「を」については、この点から論じられるこ とが多い。これに関してよく知られた現象として、「ペンキ塗り代換(Spray-Paint Hypallage)」と呼ばれるものがある (cf. Anderson (1971)、Kageyama (1980)、奥津(1 981))。 (11)a. 壁にペンキを塗った。 b. 壁をペンキで塗った。 「塗る」は、「<場所>に<もの>を塗る」と「<場所>を<もの>で塗る」という二つの構文 をとることができるが、意味が異なるとされる。(11a)の場合、「ペンキ」は「壁」全体 に「塗ら」れるとは限らないが、(11b)の場合、「ペンキ」は「壁」全体に「塗ら」れな ければならない。この点で、「壁に」という場合より、「壁を」という場合の方が「全 体的」で、影響度が高いと言える。 同じような「を」の全体性の例として、次のような移動動詞と共起する「を」が挙げ られる (cf. Sugamoto (1982)、久野(1973)、杉本(1986))。 (12)a. 校庭を走る。 b. 校庭で走る。 (13)a. 公園を散歩する。 b. 公園で散歩する。 「〜で」も「〜を」も移動の場所を示すが、「で」が移動の範囲を限定するだけである のに対して、「を」を使うと、その場所を全体的に移動するという意味になる。このよ うな違いから、次のように、場所を示す句を重ねることができる ((15)は、「公園」の 中に「森」がある場合)。 (14)a. 学校で校庭を走る。 b. *学校を校庭で走る。 (15)a. 公園で森を散歩する。 b. *公園を森で散歩する。 このような場合の「〜を」は、何らかの変化を受けるわけではないが、全体性という特 徴を持つ。 さて、このような「〜を」(このような場合の「を」を経路の「を」と呼ぶことにする) は、目的語と異なるものであり、「走る」「散歩する」などは他動詞ではない (cf. 杉 本(1986))。例えば、この「〜を」を受動文 (被害の受動文を除く) の主語にすることは できない。 (12)c. *校庭が (太郎に) 走られた。 (13)c. *公園が (太郎に) 散歩された。 しかし、同じような「〜を」でも、受動文の主語にできる場合もある (例文は、柴谷(1 978, p.290)による)。 (16)a. 外国機が日本の領空を飛んでいる。 b. 日本の領空は外国機に飛ばれている。 (17)a. 多くの人々がこの山道を歩いているようだ。 - 28 - b. この山道は多くの人々に歩かれているようだ。 この場合、「〜を」の影響度がさらに高いと解することができる。 4. 「を」と「から」 3.で見たような移動動詞と共起する「を」は、次のように「から」と置き換えること ができる場合がある。 (18)a. 部屋を出る。 b. 部屋から出る。 この場合の「〜を」は起点を表すが、このような場合、全体性はないのであろうか (cf. 杉本(1986))。次の文を見てみたい。 (19)a. 道を離れる。 b. 道から離れる。 この二つの文を比べると、「から」が使えるような状況であっても、「を」が使えない 場合がある。例えば、「道」を歩いていた人が「道」からそれていくような場合、どち らの文も使えるが、「道」のわき (つまり「道」にはいない) にいた人が「道」から遠 ざかっていく場合、「から」は使えるが、「を」は使えない。つまり、「を」の場合、 その場所の中での移動がないと使えないのである。これも「を」の全体性の現れと考え ることができる。 また、このことから、「離れる」と似た意味を持つ「遠ざかる」の構文の違いも説明 できる (cf. 杉本(1983))。 (20)a. *駅を遠ざかる。 b. 駅から遠ざかる。 「遠ざかる」は、ある基準点との距離が大きくなるように移動することを表す。したが って、その場所の中での移動を伴わないため、「〜から」をとることはできるが、「〜 を」をとることはできないのである。つまり、「から」は、狭い意味での起点としても、 基準点としても用いられるが、「を」は、狭い意味での起点としてしか用いられないこ とになる。 さらに、次のように、着点の「〜に」と対になる場合も、「を」は使えない。 (21)a. *部屋を外に出る。 b. 部屋から外に出る。 ただし、次のように、「〜を通って」と解釈される場合は別である。 (22) 門を外に出る。 これについて、益岡・田窪(1987)は、「カラは、あるところから別の所への移動の起点 を表し、着点がいつも存在する。これに対して、ヲは離れる動作の起点のみを問題にし、 着点は想定されていない (p.60)」と述べている。これは、「〜を」の示す場所を「A」 とすると、「を」は、「A」から「非A」に移動することを中心とし、「非A」がどこであ るか問わないということであろう。さらに、移動の結果、「非A」に存在することは重要 ではなく、移動の以前に「A」に存在していたことが重要であると考えることができる。 - 29 - これと関連して、この起点を表す「を」に特徴的な点は、抽象的用法として用いられ ることである。 (23)a. 大学を出る。 (=卒業する) b. 大学から出る。 (24)a. 大学を卒業する。 b. *大学から卒業する。 (25)a. 家を出る。 (=一人立ちする) b. 家から出る。 (26)a. 部屋を出る。 (=明け渡す) b. 部屋から出る。 a.は、括弧内に示した抽象的な意味で専ら用いられるが、b.はそのような意味には用い られず、具体的な意味で (物理的な移動として) 用いられるのみである。このような例 は、Hopper & Thompson (1980) の他動性の尺度からすると、運動性が低い (非動作的) ものであるので、他動性は (相対的に) 低いことになる。それなのに、どうしてこの場 合「を」が用いられるのであろうか。これは、先の(21)の場合と同じように、着点が意 識されないためであろう。このような表現は、ある状態 (「大学に在学している」「家 で暮らしている」「部屋で暮らしている」状態) を「A」とすると、「A」から「非A」に 変化することを中心とし、「非A」がどのような状態であるか問わない。これに対して、 「から」の場合、その後の状態が意識されてしまうため、用いることができないのだろ う。 このように、着点と共起し得ない点、抽象的に用いられる点は、「を」の場合、まさ に「A」という場所、状態が問題になるということである。この意味で、起点の「を」と は言え、3.で見た経路の「を」に近いと言うことができる。この点で、起点の「を」も (弱いながらも) 全体的という特徴を持っていると言える。 なお、抽象的用法に関しては、起点であるという意識が薄れるということがある。こ のため、このような「〜を」は目的語に近くなる。このことは、(24)の「卒業する」に よく現れている。これを、起点の「を」とするかどうかは、意見の分かれるところであ ろう。 さらに、これと関連して、次の「やめる」と「あきらめる」も、「A」から「非A」に 変化すること表し、「を」は起点的であると言える。 (27)a. 太郎が大学をやめた。 (28)a. 太郎が進学をあきらめた。 しかし、構文的には、「やめる」の「を」は起点の「を」的であるが、「あきらめる」 の「を」は目的語の「を」的である。典型的な他動詞構文を使役文にした場合、元の 「〜が」は「〜に」になり、「〜を」にはならない (cf. 杉本(1986))。なお、以下の文 では、「〜を」の連続を避けるために、分裂文にしてある。 (29)a. 太郎が花瓶を割った。 b. *次郎が太郎を割らせたのは花瓶だ。 - 30 - c. 次郎が太郎に割らせたのは花瓶だ。 しかし、「あきらめる」は典型的な他動詞構文のように振る舞うが、「やめる」はそう ではない。 (27)b. 父親が太郎をやめさせたのは大学だ。 c. 父親が太郎にやめさせたのは大学だ。 (28)b. *父親が太郎をあきらめさせたのは進学だ。 c. 父親が太郎にあきらめさせたのは進学だ。 このような点からも、起点の「を」と目的語の「を」の近い関係が認められる。 また、益岡・田窪(1987)は、次のような例を挙げ、「自分の意志で行う動作でないと き (p.41)」には、「を」が使えないことを指摘している。 (30)a. *馬を落ちる。 b. 馬から落ちる。 (31)a. *煙が煙突を出る。 b. 煙が煙突から出る。 このような場合、意志性が低いため、他動性が低いと考えられる。鈴木(1978)は、次の ような現象を指摘し、「人体からの発生物も、その出どころに「から」は用いられるが、 「を」はつかえない (p.67)」と述べている。これも意志性によって説明することができ そうである。 (32)a. *涙が目を出る。 b. 涙が目から出る。 (33)a. *血が足を出る。 b. 血が足から出る。 (34)a. *汗が体じゅうを出る。 b. 汗が体じゅうから出る。 ただし、次のような乗り物の場合は、「を」を用いることができるが、人間の操縦する ものであるからである。 (35)a. 船が港を出る。 b. 船が港から出る。 したがって、次のような人間のコントロールを離れてしまったものには、「を」は用い られない。 (36)a. *(投げた)ボールがレーンを出てしまった。 b. (投げた)ボールがレーンから出てしまった。 5. 「を」と「に」 他動性の観点から「を」を見た場合、よく引き合いに出されるのが、「に」である。 例えば、Jacobsen (1991, p.46) は、日本語と英語の類義的な動詞が他動詞構文をとる かどうかを対比しているが、そこにおいて、英語で他動詞構文をとる動詞が、日本語で は「〜を」ではなく「〜に」をとるということが多く見られる。次の(37)は、英語で他 - 31 - 動詞構文になり、日本語でならないもの、(38)は、日本語で他動詞構文になり、英語で ならないものである (参考のため、「〜に」以外のものも挙げてある)。 (37)a. 医者に相談する。 Consult a doctor. b. 友達に会う。 Meet a friend. c. (赤ん坊が) 父親に似ている。 (The baby) resembles its father. d. (ホテルが) 海に面する。 (The hotel) faces the sea. e. (絵が)額縁に合う。 (The picture) fits the frame. f. 敵と闘う。 Fight the enemy. g. 花子と結婚する。 Marry Hanako. h. 山が見える。 See a mountain. i. 音楽が聞こえる。 Hear music. j. 変な匂いがする。 Smell something funny. (38)a. 友達を待つ。 Wait for a friend. b. アパートを探す。 Look for an apartment. c. 音楽を聞く。 Listen to music. d. 絵を見る。 Look at a picture. e. 友達の出世を喜ぶ。 Rejoice at one's friend's success. f. 登山者の安否を気遣う。 Worry about the safety of the mountain climbers. g. 公園を歩く。 Walk in (through) the park. h. トンネルを通る。 Go through a tunnel. また、ヤコブセン(1989, p.225)の「支配関係」と呼ばれる尺度にも、「を」と「に」 の関わりが見られる。 (39) 支配的←――――――――→対称的 NPがNPを NPがNPに NPがNPと これは、「NPがNPと」という格配列の文においては、名詞句が互いに入れ換え可能であ り、対称的な意味関係にあるが、「NPがNPを」の場合、「NPが」が「NPを」に対して上 位に立つ非対称的な関係、つまり「支配関係」になることを表す。そして、「に」はこ の尺度の中間に位置する。この意味で、「に」は「を」と対比されながらも、(「と」と 比べると) 近い関係にあることが示されている。 (40)a. Aが Bを含む。 b. Bが Aを含む。 (41)a. Aが Bと違う。 b. Bが Aと違う。 (42)a. Aが Bに似ている。 b. Bが Aに似ている。 (40)の場合、「A」と「B」を入れ換えると意味が全く変わってしまうが、(41)の場合、 入れ換えても意味は変わらない。一方、(42)の場合は、その中間で、(40)ほど意味は変 - 32 - わらない。 また、Ono (1985, p.223) は、次のような例を挙げ、「〜を」は全体的であるが、 「〜に」は全体的ではないと述べている。 (43) 花子が太郎に追いついた。 (44) 花子が太郎を追い越した。 この「を」と「に」の違いは、次のような現象にも認められる。例えば、「頼る」は 「〜を」も「〜に」もとることができるが、その用法に違いがある。 (45)a. 太郎は次郎を頼っている。 b. 太郎は次郎に頼っている。 (46)a. *太郎は次郎を頼りきっている。 b. 太郎は次郎に頼りきっている。 (47)a. 太郎は叔父を頼って、上京してきた。 b. *太郎は叔父に頼って、上京してきた。 「頼る」は、(45)のように何も限定がなければ、「を」も「に」も用いることができる。 しかし、(46)(47)のように、一方しか用いることができない場合がある。(46)と(47)の 違いは、前者が受動的=非意志的であるのに対して、後者が能動的=意志的であることで あろう。この点からは、「を」と「に」の他動性の違いを認めることができる。 この「頼る」のような、「を」も「に」も用いることができる動詞として、次のよう なものがある。 (48)a. 太郎をかまう。 b. 太郎にかまう。 (49)a. 太郎を注意する。 b. 車に注意する。 これらの場合も、「を」と「に」で意志性に違いが見られるようであるが、次のように、 ほとんど違いが認められないようなものもある。 (50)a. 東を向く。 b. 東に向く。 (51)a. 海をのぞ(望)む。 b. 海にのぞ(臨)む。 また、次のような動詞になると、能動文と受動文の対立に近いものになる。 (52)a. 敵を屈する。 b. 敵に屈する。 また、次のように、いずれも他動詞であるが、本来の目的語が消えて、「〜に」が 「〜を」に昇格する場合もある。 (53)a. 学生に日本語を教える。 b. 学生を教える。 (54)a. 矢を的に当てる。 b. 的を当てる。 - 33 - この一方で、「を」は他動性が高く、「に」は他動性が低いとは、一概には言えない ことを示す現象も存在する。例えば、次の文を見てみよう (cf. 杉本(1991))。 (55)a. 太郎が次郎にからんでいる。 b. 次郎が太郎にからまれている。 (56)a. 被告の態度が陪審員に影響している。 b. 陪審員が被告の態度に影響されている。 ここに挙げた文は、「〜が〜に〜」という構文をとり、他動詞構文ではない。しかし、 b.に示したように、受動文 (被害の受動文を除く) になる。これは、「〜に」をとる自 動詞に一般的に見られる現象ではない。 (57)a. 太郎が友人に会った。 b. *友人が太郎に会われた。 (58)a. 花子が太郎に近づいた。 b. *太郎が花子に近づかれた。 この点で、(55)(56)のような文の動詞は、他動詞的な自動詞であると言うことができる。 (杉本(1991)では、「準他動詞」と呼んだ)。このような動詞には次のようなものがある。 (59) 寄り添う、反抗する、そむく、逆らう、はむかう、いたずらする、意地悪す る、影響する、からむ、期待する、抗議する、反対する、惚れる、追い付く、 吠える、挑戦する、取って代わる、飽きる、飽き飽きする、親しむ、注目する また、次に挙げる文は、同じような意味を持ちながら、「〜に」をとるものと「〜を」 をとるものであるが、両者に他動性の違いがあるかどうかは疑わしい (あったとしても、 わずかであろう)。 (60)a. 気圧の状態が台風の進路に影響する。 b. 台風の進路が気圧の状態に影響される。 (61)a. 気圧の状態が台風の進路を左右する。 b. 台風の進路が気圧の状態に左右される。 また、これらの動詞は、場合によって、「〜を」をとることもある。 (62)a. 皆が加藤さんの立候補に反対している。 b. 加藤さんが皆に立候補に反対されている。 c. 加藤さんが皆に立候補を反対されている。 (63)a. 隣の子供が太郎の自転車にいたずらした。 b. 太郎が隣の子供に自転車にいたずらされた。 c. 太郎が隣の子供に自転車をいたずらされた。 したがって、これらの動詞は他動性が高いにもかかわらず、「に」を用いることができ るのである。 このように、「を」と「に」は、対比的、相対的には、他動性に違いが見られるが、 両者が接近する場合もあるわけである。つまり、「に」に全く他動性がないわけではな く、「を」につながっていくものであると考えられる。 - 34 - 6. おわりに 以上のように、「を」の様々な用法において、他動的な特徴が見られる。従来から、 通常の目的語の「を」と経路や起点を表す「を」が同じものであるかが、しばしば論じ られてきた。さらには、日本語における「目的語」の概念 (ひいては「他動詞」の概念) が疑問視されることもあった。他動性の観点からは、様々な「を」に、程度の大小はあ れ、共通性が見られる。 また、「に」にも他動的な特徴が見られることがある。このことは、日本語における 「目的語」の概念を考える上で、「に」をも考慮に入れる必要があることを示している のである。 従来の「他動性」の研究においては、格助詞の問題は自明のもの、あるいは前提とな るものとされ、専ら、ヴォイスやアスペクトとの関わりが論じられることが多かったよ うに思われる。しかし、そこで得られた「他動性」に関する知見によって、改めて格助 詞あるいは目的語の問題を問い直すということも、今後必要な観点ではないだろうか。 * 動詞例の採集には、情報処理振興事業協会技術センター『計算機用日本語基本動詞辞 書 IPAL』を利用した。同辞書を作成・公開された同協会に感謝申し上げる。 参考文献 Anderson, Stephen R. (1971), "On the Role of Deep Stucture in Semantic Interpretation," Foundations of Language 7:3, pp.387-396. Arii, Matsuo (1987), "Case and Transitivity in Japanese," 『日本語・日本文化』 14, pp.55-70, 大阪外国語大学. Hopper, Paul J. & Sandra A. Thompson (1980), "Transitivity in Grammar and Discourse," Language 56:2, pp.251-299. Jacobsen, W. M. (1992), The Transitive Structure of Events in Japanese, Kuroshio Publishers. Kageyama, Taro (1980), "The Role of Thematic Relations in the Spray Paint Hypallage," Papers in Japanese Linguistics 7, pp.35-64. Ono, Kiyoharu (1985), "The NP-ga NP-ni Verbal Construction," Descriptive and Applied Linguistics XVIII, pp.219-244, ICU. Shibatani, Masayoshi (1986), "On the Transitivity of the Stative Predicate Constructions," in S.-Y. Kuroda (ed.), Working Papers from the First SDF Workshop in Japanese Syntax, pp.147-168, University of California, San Diego. Sugamoto, Nobuko (1982), "Transitivity and Objecthood in Japanese," in Paul J. Hopper & Sandra A. Thompson (eds.) 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