19世紀後半以降、ソロモン諸島は継続的にヨーロッパ人や他のオセアニア島民と接触を繰り返してきた。 特に、前者との関わりは、それまで培われてきた様々な日常生活上の技術、生活用具を変化させてきた。あるものは、ヨーロッパで使われていた同様の働きをするものに、またあるものは全く新しい要素としてソロ モン諸島社会に持ち込まれた。 現在、首都ホニアラは電気、プロパンガス、水道が備えられ、日用雑貨や輸入食料品、電気製品を扱った 小規模商店、スーパーマーケット、レストラン等が軒を並べている。それらのほとんどは、オーストラリア 系・中国(香港・台湾)系の人々が経営し、メラネシア系・ポリネシア系の店はきわめて少ない。店には、缶詰、インスタントラーメン、米をはじめとする輸入食料、衣類、食器、灯油ランプ、ビーチサンダル、洗 剤などの輸入雑貨や電気製品が豊富に販売されている。 |
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それら輸入品に併せて、映画館における外国映画の上映、レンタルビデオ、外国雑誌を通じて先進国の生 活形態についての情報も入っている。それらは、当然、金銭によってのみ入手できるものである。現金さえ
あれば、日本人と同じ日常生活上の物的条件を整えることも可能である。 マライタ州都のアウキ、ウェスタン州都のギゾには、チャイニーズ・ストアを中心とした商店街が形成さ れており、その様相は、ホニアラをミニチュア化したものといえる。 他の八つの州都を含めたすべての地域 は、細かな差はあるもの、農村地域として1つにまとめられる。たいていどこの村でも、地元の人間が経営 する小商店がいくつか存在し、灯油ランプ、ガソリン、エンジンオイル、洋服、布、ポット、石鹸、洗剤、 ビスケット、インスタントラーメン、ツナ缶、カレー味ビーフ缶、カレーパウダー、米、塩、砂糖、醤油、 ナイフ、たばこ、マッチ、ノート(たばこを巻くため)、皿、スプーン等が売られている。ほとんどが輸入 品であるが、農村地域の日常生活上、必需品といえるものばかりである。 |
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ホニアラで暮らす人々の服装は、男性の場合、若者はTシャツ、短パン、ビーチサンダル(一般に、「スリ ッパ」と呼称される)もしくは裸足で、公務員や外国系オフィスで働く人は襟つきの半袖に長ズボン(あるい は膝までのズボンに靴下着用)という服装が一般的である。女性はワンピースかツーピースで、ズボンははか ない。家庭内では、男女とも「ラバラバ」と呼ばれる1枚の布を身体に巻き付けたものを着用している。男性 は腰に巻き、女性は、胸から下に巻き付ける。下端はいずれも膝から少し下くらいまで垂らす。また、女性の 場合、長いスカート状の布の上端にゴムを入れ、胸まであげたものを着用することもある。特に、授乳期の子 供をもつ母親は、ゴムの入っている部分を少し下げるだけですぐに胸を露出できるので、このタイプの服を着 ることが多い。これらは、商店で既製のものを購入するか、中国製の木綿の生地を使って自分で作る。基本的 に、男女とも足もとは裸足かビーチサンダルであるが、ここ数年、紐付きシューズをはく人も目立ってきた。 ソロモン諸島国民の多くは、子供の頃からあらゆるところを裸足で歩いてきたので、足の裏は角質化しており、 靴をはいている状態と変わりない。ホニアラのアスファルト道路でも、自動車のペダルでも、海岸の岩場でも 裸足のままで十分であり、またその方が楽なのである。 |
農村社会での服装は、基本的に男性はラバラバかTシャツ、短パン、女性はワンピース、ツーピースかゴム 入りワンピースである。ただし、教会の礼拝時には襟つきの服等を着用する。足もとは、圧倒的に裸足が多い。 ホニアラの食生活は、タロイモ、ヤムイモ、キャッサバ等のイモ類、「キャベジ」と総称される緑黄色野菜、 リーフやその周辺でとれる魚、「タイヨー」と呼ばれるツナ缶等を、塩味をベースにココヤシミルクで煮たも のが中心で、その後にカレー粉を少々まぶしす方法もある。米もココヤシミルクで炊くことが多い。鉄板があ れば、ピーナッツオイルかサラダ油を使用してバーベキュー形式で食べることもある。この場合、たいてい大 人数でパーティ感覚で行われる。インスタントラーメンはフィジー、マレーシア、香港、台湾、シンガポール などから輸入されている。ご飯と別の器に入れる場合もあるが、たいていご飯の上にかけて食べる。材料は、 町の商店やスーパーマーケット、青空市場で購入するか、同郷人が「上京」した際、みやげとして野菜やイモ類をプレゼントされる。青空市場には、ホニアラ近郊の農村だけでなく、マライタ島やゲラ島等、近隣の島か らも野菜類が出荷されている。そのほか、果物類では、ココヤシ、オレンジ、バナナ、パイナップル、マンゴ ー、パパイヤ等、肉では鶏、豚、牛が日常的に手にはいる。使用する食器類は、中国製のブリキやプラスティ ックのボウル、ステンレスのスプーン、フォーク、アルミの鍋が中心で、食べるときはスプーン、フォークを 使うか、手づかみである。 食生活の面では、材料の種類・数に開きはあるものの、基本的な調理の仕方・食器類において、ホニアラの 一般家庭と農村社会の間に大差はない。ただし、農村社会では地域レベルのミーティングやクリスマスをはじ めとする教会関係の比較的大規模な行事等、多人数が一同に会する機会には、一般に「フィースト」と呼ばれ る饗宴が行われる。イモ類や魚類の石蒸しやココヤシミルク煮、緑黄色野菜のココヤシミルク煮等が大量に出 される。また、豚が解体されて出されることもあるが、それは冠婚葬祭やクリスマス等、特別な機会に限られる。 ホニアラには、中国料理とフランス料理のレストランがある。また、町の中心部にあるホテルのレストランでは、毎週火曜日から金曜日の昼食時と土曜日 ・日曜日の夕食時に、日本食メニューが加わる。しかし、それらの客層は外国人中心で、料金の高さと帰宅の交通機関(バスかタクシー)の不安から、一般 のソロモン人が単独で入店する姿はほとんど見られない。 家屋は、村社会でみられるサゴヤシの葉を基本材にして建てられた家とは違い、コンクリート作りの家や材木を用いた西洋風の建物が中心である。ただし、 持ち家を所有している人は極めて少ない。公務員は官舎を賃借したり、同郷人の借家に居候したりしているが、給与所得額と比較して賃借料が高い上に家屋 の絶対数が不足しており、住宅事情はホニアラが抱える大きな問題の1つである。 |
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ホニアラはソロモン諸島国で唯一の都市的空間であり、あらゆる西洋的な物質・システムが集合している町である。ホニアラから農村社会に向けた西洋的な
ものに関する流れがある一方で、農村社会には、現在も継承され利用されている伝統的な生活技術・用具がある。 @「衣」に関するもの−瘢痕文身と入れ墨 瘢痕文身は、皮膚を切り傷ないし焼きつけることによって身体に文様を描く慣習である。ソロモン諸島でも、サンタアナ島やマライタ島を中心にした1部の メラネシア人地域で見られる。 サンタアナ島では、子供が5歳になると竹ナイフや剃刀で顔面に傷をつけ、ココヤシミルクを洗面器で顔を洗うようにして傷口にしみこませる。マライタ島 では、島のほぼ全域で行われており、生後1カ月ほどで顔面に瘢痕が施される。いずれの社会においても、瘢痕文身は身体的苦痛に対する忍耐と勇気を試すこ とに基本的な意味があると考えられ、重要な入社儀礼である。 入れ墨は、レンネル島、ベロナ島、オントン・ジャヴァ環礁等のポリネシア社会に顕著にみられる。地域によって異なるが、キリスト教会の影響や西洋的思 考の流入にともない、入れ墨の社会的価値は低下している。 A「食」に関するもの焼畑農耕は、現在でも、ソロモン諸島における主要な生業形態で、タロイモ、ヤムイモ、キャッサバ、サツマイモ、パナなどを栽培する。今日、畑作業は男 女の別なく両性の共同作業であるが、キリスト教が普及する以前は、女性中心の仕事だった(妻を失った男性は例外的に畑で仕事をした)。母親が娘や孫娘な どを連れ、家族単位で小集団を形成して作業を行っていた。ヨーロッパ人との接触以後、人々はそれまで居住していた山間部の村を離れ、沿岸部に集住するよ うになった。しかし、現在でも人々の畑は伝統的に継承してきた山間部の土地にある。チョイスル島南部にあるササムンガ地区の人々は、週に1度、もしくは 2週に1度、丸1日使って、家と畑の往復と作業に時間をかける。収穫は、たいていキリスト教会が定める安息日(SDA教会は土曜日、その他の教派は日曜 日)の前日に行う。また、中には畑があまりに遠隔にあるため、畑に設置した小屋で寝泊まりする人もある。伝統的に、タロイモは日常食としてだけでなく、 拠出量が問題にされるという点から、饗宴の場においても重要な役割を担っていた。 |
ソロモン諸島各地で一般的に食されている料理の1つに、プディングがある。それは、タロイモなどをすり つぶし、ココヤシミルクやカナリウムナッツを混ぜてつくる(ただし地域差はある)。また、プディングつく
りに欠かせない大きな特徴は、調理の過程で石蒸しにする点である。調理小屋の中の地面に石を敷き、そこで 乾燥したココヤシの殻などを燃やす。石が十分に熱しられたところで、1部の石を取り除き、残った石の上に
蒸し焼き前のプディングをバナナの葉で包んでから置く。その上から1度取り除いた石をかぶせるようにおいて、蒸し焼きにする。このようにして約半日おいておき、最後にかぶせてある石を再び取り除いてプディング
を取り出す。 |
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調理器具としての土器は、現在、チョイスル島東北部ペネタレ村に居住するセンガロンボロの女性によってのみ継承されている(母から娘あるいは嫁)。かつては、ショートランド諸島でも行われていた。ショートラ ンドの人々の話では、チョイスル島の土器製作技術はもともとショートランドのものであるという。土の採取 に男性が手伝うこともあるが、土器製作作業はすべて女性によって行われる。作る場所や時期に制限はないが、 以前はその家系のもの以外、その作業の場をみてはならなかった。土器の種類には、ルガルカという甕形土器 (大型のものはピロソと呼ばれ、タロイモとココヤシミルクを主材料にする料理に使う。直径55cm、高さ 60cmである。小型のものはタロイモ等の煮炊きに使う。直径27cm、高さ26cmである)、カスカスという 三足のゆでるのに使用する土器(直径19cm)、最も小さくてイモやコメを調理するのに使用するチャリリセ (直径10cm)がある。 | ![]() |
B「住」に関するもの ソロモン諸島農村地域の伝統的家屋には、基本的にサゴヤシを主材料にして建てられている。ガダルカナル島 南部沿岸地域では竹の使用が目立つが、全国的にみれば、圧倒的にサゴヤシを屋根材・壁材として使った家が 多い。 家屋内では、パンダナスの葉を編んで作ったマットが使われる。布団として用いるのが一般的だが、その他 に船で移動するときなども常に携帯し、甲板に敷いてその上で身体を休めている。ショートランド諸島では、 チーフの妻が他の男性に顔を見られないようにするため、外出時には常に携帯用マットを持ち歩く。また、結婚の儀に際し、正式に婚姻が成立するまで花嫁の身を隠すためにも使われる。マットのサイズは使用目的に合わせてまちまちであるが、日本の畳に換算すると、おおよそ1〜2畳程の大きさである。 |
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Cその他−入れ物、傘、カヌー 人々の日常生活に欠かせないものに、ピジンイグリッシュで「バスケット」と総称される袋物がある。ラッセル諸島のバスケットには、楕円形をしたゴヌ(直径33〜37cm、高さ15cm)と、円形をした ケヌクアム(直径22cm、高さ15cm)の2種類がある。前者は、イモやプディングを、後者はナッツやベテ ルナッツを入れるのに使用する。ゴヌは西ソロモン起源といわれる。両方とも女性が作る。 はじめにココヤシ の葉の葉脈を残してとる。次に、女性2人がそれぞれ葉を升目状に織っていく。そして、織りあがった2つを 1つに組み合わせ、最後に、中にものを入れてから両端を合わせて口を閉じ、運搬に用いたり家中に吊るして おく。 伝統的に、雨よけの道具はサゴヤシの葉を使って切妻形に作られる。はじめにサゴヤシの葉を伐り、火にか けて乾燥させる。次に、頭の上で葉をこすり、まっすぐに伸ばす。そして最後に、数枚の葉を縫い合わせてい き、切妻状に仕上げる。 ソロモン諸島の農村社会は自動車・自転車などの陸上交通手段が発達していない。彼らが日常の交通手段に用いているのが、カヌーである。現在、ソロモン諸島で使われているカヌーには、くり貫きカヌー(パドル使用)とグラスファイバー製のカヌーがある。くり貫きカヌーは子供から大人まで、 誰もが利用している。また、ポリネシア系のアウトリガー(舷外張出し浮材)付くり貫きカヌーが、ショートランド諸島、サンタクルーズ諸島等で顕著にみら れる。アウトリガーは、洋上でのカヌーの安定に寄与する。 |
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焼畑耕作や漁労などの自給自足的活動は、現在も村落社会で暮らす人々の生業の中心である(ちなみに、ソロモン諸島国民の約85%は村落で暮らしている)。しかし、植民地化以降、貨幣経済が徐々に浸透しはじめた。 とくに太平洋戦争後は、村生活における必需品の中に現金でなければ購入できない物の割合が増加した。 たいていどの村でも、地元の人間が経営する小商店がいくつかあり、灯油ランプ、ガソリン、エンジンオイル、洋 服、布、ポット、石鹸、洗剤、ビスケット、インスタントラーメン、ツナ缶詰、塩、砂糖、タバコ、マッチ、 食器などを販売している。今日、それらは村社会の日常生活にとけ込んでいる。たとえば、村民の一般的な食 生活をみると、朝食にはビスケットと紅茶、もしくは「マイロ」という商品名の麦芽飲料(日本では 「ミロ」という名称で販売されている)をとることが多い。たいてい昼食はとらない。夕食には、各自の畑で収穫したイモ類を主食にして、緑黄色野菜やツナ缶、ときにはコーンビーフやインスタントラーメンを一緒に、塩味をベースにココヤシミルクで煮たものを食べる。食事は、灯油ランプのもとで、核家族単位でとる。ここに述べた食生活の中で、人々が自給できるものは、イモ類、緑黄色野菜、ココヤシミルクだけで、それ以外はすべて商店で購入する。また、交通手段の面でも、輸入品は日常生活に定着している。島内には州都 と商業伐採地域以外に車輌の通ることのできる道路がないため、村と村、村と畑、あるいは村と州都の間の移動交通手段として、船外機をつけたグラスファイバー製カヌーは各村に不可欠なものとなっている。当然のことながら、船外機に必要なガソリン、エンジンオイル、スペアパーツなどは、現金以外で入手する ことはできない。 また人々は、そのような輸入品を購入する以外に、子どもの学校教育費のためにも現金を必要としている。 1960年代以降、政府は各地に公立学校を設立するとともに、キリスト教会系学校の公立化をおこない、学校育 制度を整備した。しかし、ソロモン諸島は義務教育制度を採用していないので、小学校から高等学校、専門学 校に至るまで(同国に大学はない)、教育費は基本的に親の負担となる。教育を受けているか否かは、子ども の将来の職業選択に大きく影響する問題である。親たちの多くは、現代社会で生きていくためには学歴が必要 であることを、自らの経験から認識している。そのため、子どもの将来や自分の老後のことなどを考え、親は子の進学を熱望する。 さて、そのような現金を必要とする機会に対処するために、村の人々はどのような方法で収入を得ているのであろうか。彼らの主要な収入源は、商業伐採による土地と木に対する権利金の取得、輸出用コプラの供出、 各村に数軒ある「よろず屋」的な小商店の経営などであるが、実質的にはコプラ生産に偏っている。その他、州都ブアラやキア村などの比較的人口の多い地域にある青空市場で販売するため、ビンロウジや緑黄色野菜、パイナップルなどの果物、あるいはカナリウムナッツを栽培(あるいは採取)している。だが、最も主要な収入源であるコプラにしても、出荷価格は1984年以降低迷しており、現在それは安定した収 入源とはいえない。青空市場における販売にしても、消費者が同じ様な経済事情を抱える村社会の住民であるため、多くの収入は期待できない。そのため、賃金労働に就こうとするが、地方州の場合、商業活動が比較的盛んなのは州都だけである。しかし、州都といえども、村のよろず屋の規模を若干拡大させた程度 の商店が5〜6軒あるにすぎない(ただし、マライタ州都のアウキとウェスタン州都のギゾは商店の数も町の規模もかなり大きい)。ゆえに賃金労働を求めて 首都ホニアラに出ていく島民も少なくない。 |
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ホニアラという社会自体は近代的(西洋的)な概念に支配され、唯一の外国との接点であり、ソロモン諸島国において、「近代」を象徴する存在といえる。 ホニアラから各地方社会に向けて近代的な物質・技術が拡散していき、それまで存在した伝統的なものと入れ替わるか、融合して新たな生活の姿を創造するか、あるいは受け入れを拒否する。その拡散の媒体となるのは、国家の政策やキリスト教会の方針であり、ラジオ番組であり、ホニアラから村に帰郷する人間である。 しかし一方で、ホニアラで暮らす人々の生活は、日中のオフィス・ワークを別にして、農村社会の延長線上にあり、政治家や高級官僚といえども例外ではない。 ある媒体によって持ち込まれた新しい物質や技術は、個々の農村社会で取捨選択作業を経て、その結果生じた日常生活上の変化(あるいは無変化)の姿を、再 びホニアラ生活に反映させる。ソロモン諸島国民の日常生活は、新しい技術・物質がホニアラ(「近代」の側)と農村社会(「伝統」の側)との間を、媒体を 通じて循環される過程で再創造されているのである。 |