葦(Arundo donax)とは?


葦はか弱い?
人間は考える葦である、との言葉を残したパスカルは、風に揺れる葦をle plus faible de la nature(自然界で最もか弱い存在)と考えていたようです。しかし、葦は本来、繁殖力の旺盛な植物です。不用意に移植すればあっという間に周囲の在来種を駆逐してしまいます。世界の外来侵入種ワースト100にも入っており、一部地域ではinvasive weedとして駆除の対象になっています。葦は決して「か弱い存在」ではありません。

木管楽器の奏者にとっても、葦は気まぐれで、強情で、扱いにくい存在です。クラリネットを始めとする木管楽器は、葦でできた薄い板(リード)を振動させて音を出すのですが、天然モノであるリードの質は一枚一枚微妙に異なります。しかも、その時々で吹き心地が大きく変わったりします。そのため、多くの奏者が、リードの選別と調整に日々苦心しています。「たかが200円弱の葦の切れ端」ではありますが、リードの善し悪し(ヨシ葦?)が楽器本体より重要だと考えている奏者は少なくありません。奏者以外の方にとっては信じがたいことかもしれませんが、「100万円の高級楽器+調子の悪いリード」と「5万円の安物楽器+調子の良いリード」ならば、多くの奏者が迷わず後者を選ぶでしょう。

リードの選び方や調整法については、演奏家や楽器製作者が著した多くの教本があります。また、リードの振動については、古くからたくさんの音響学者が取り組んできました。しかし、葦そのものの性質に関する情報は、残念ながらきわめて限られています。そこで当サイトでは、葦に関する最近の研究成果の中から奏者にとって重要と思われるものを取り上げ、順次紹介していきたいと思います。葦の基礎的な性質を知ることで、リードに対する見方が変わるかもしれません。


どんな葦?
リードに使われるのはArundo donaxという種類の葦です。日本ではダンチクと呼ばれています。特別な葦ではなく、世界中に生育しています。


なぜ葦?
木管楽器に限らず、たわみ振動をする薄い板をリードと呼びますが、これは、言うまでも
なく葦(reed)から来ています。葦とリード(振動板)は切っても切れない関係にあると言えるでしょう。このページでは、「なぜ葦なのか」を中心に、葦とリードの深い関わりについて述べたいと思います。なお、ここではクラリネットやサックスなどのシングルリードを前提としています。

プラスチックやFRP(繊維強化複合樹脂)などの人工材料が実用化されたのは20世紀以降です。したがって、クラリネットの進化の過程(レジスターキーが発明された17世紀~キーシステムが完成した19世紀)で、葦のライバルになり得たのは木ぐらいでしょう。葦は木に比べて

1) 割ったり削ったりしやすい
2) 水を吸ったときの(かたさの)変化が小さい
3) より大きな変形(曲げ変形)に耐えられる

といった利点があります。ただ、これだけで葦がグローバルスタンダードになったとは思えません。なぜなら、葦には

1) 材質のばらつきが大きい(不均質)
2) 水に漬けると材質が変わる(不安定)

という欠点もあるからです。また、そこら中に葦が生えている南欧ならともかく、内陸~北部では、葦より木の方がずっと身近だったはずです。
これは個人的な見解ですが、「最初のリードが葦で作られた」ことが、今なおリードに葦
が使われている最大の理由だと思います。


多くのリード楽器の祖先は古代の葦笛です。つまり、昔はリードも管体も葦でできていました。ところが、楽器の発達とともに、管体はより硬い材料で作られるようになります。管の素材を変えても音色はそれほど変わらないし、硬い木の方が精密に加工でき、正確な音程を得られるからです。

リードの材料を変えるにはかなりの勇気が要ります。吹奏感や音が大きく変わるか
らです。そして、葦笛を祖とする以上、葦のリードから生まれる音が「オリジナル」であり「スタンダード」です。したがって、葦以外の材料でリードを作ろうと思ったら、できるだけ葦に近い性質を持った材料を探さなければなりません。

しかし、材料科学がめざましく進歩した現代でさえ、葦に近い材料を見つけたり、創り出
したりすることは容易ではありません。そもそも、葦が容易に手に入る状況では、代替材など要りません。こうして、多くの管体が柔らかい木から硬い木へ、硬い木から金属へと変化する間、リードには葦が使われ続けました。

もし、茶道が南欧で完成されていたら、竹製ではなく、Arundo donaxでできた茶筅(ちゃせん)がスタンダードになっていたはずです。クラリネットが東アジアで完成されていたら、竹のリードがスタンダードになっていたかもしれません。
なぜリードは葦なのか、という問いは、なぜOSにWindowsを使うのか、という問いに似ています。Windowsの長所を否定はしませんが、それだけで世界標準になったわけではありません。葦も同じだと思います。長所も確かにあります。でも葦を調べれば調べるほど、「葦でなければならない」とは思えなくなります。

後述するように、葦は均質ではないし、安定した扱いやすい材料でもありません。それにも関わらず今なお使われ続けているのは、葦に近い性質を持ち、安価で、加工しやすい材料がまだ見つかっていないからです。その意味で、葦は一種の「デファクトスタンダード」なのだと思います。葦に限りなく近い画期的なリード材料が現れない限り、葦の地位が揺らぐことはないでしょう。


他の葦や竹ではだめなのか?
ひとことで葦と言っても、Arundo donaxによく似たものは何十種類もあります。竹も含めればその数はさらに増えるでしょう。それらの中には、Arundo donaxに近い性質を持ったものもあるはずです。ただ、既に大規模に商用栽培されているArundo donaxを他の種類の葦に切り替えるメリットはほとんどありません。

よく問い合わせのある「竹」については、代表的なマダケやモウソウチクが葦に比べて重く、堅く、リードにした場合には音を出しにくく音色が硬い、と指摘されています。リードにするなら、より小径で葦に近い種類の竹を選ぶ必要があるでしょう。ただ、葦の欠点である不均質性や不安定性は、多くの竹にも共通する性質です。したがって、よほどのメリット(コストを劇的に下げられる等)がないかぎり、竹でリードを作る意味はないと思います。


やはり南仏産がよいのか?
Arundo donaxは、育つ場所を選ぶほど弱い植物ではありません。スペイン、イタリア、黒海沿岸、メキシコ、アルゼンチンなど様々な場所でリード用の葦が栽培されています。また、振動特性に限って言えば、産地による明確な差異はないようです。乾燥条件(乾燥の際の温度や湿度)が振動特性に与える影響もほとんどありません。ミストラルがどうのこうの、とまことしやかに言う人もいますが、人工的に管理された環境で乾燥した方が腐朽や異常収縮を防げる場合もあります。

現段階では、「南仏の葦が他の地域の葦より優れている」「南仏の気候がリードづくりに
最適である」といった話は、「都市伝説」の域を出ていません。少なくとも、産地や乾燥条件が葦の材質に与える影響は、個体や節位置の違いによる材質のばらつきや、わずかなカットの違いによる吹き心地の違いに比べてはるかに小さいと考えられます。

もちろん、様々な産地の葦を1万本ずつ(!)集めて徹底的に調べれば、何らかの違いがでるかもしれません。でも、あまり意味のあることとは思えません。 最近では、スペイン産の葦がフランスで加工され、Made in France に「変身」したりしていますw。このような状況では、葦の産地を議論すること自体ナンセンスです。メーカーによって吹き心地が違うとしたら、それは産地の違いではなく、葦の選別方法やカットの違いを反映していると考えられます。


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