読書案内
ブライアン・マギーの哲学的自伝『哲学人』上下NHK出版
「分析哲学は、本物の哲学ではない、本当の哲学の問題を忘れた、テクニックに傾斜した哲学だ。私が理解したいのは、私がいるこの世界、そして私自身である」。オースティン、エイヤー、ライルらが揃っていた分析哲学全盛のオックスフォードで学んだ著者は、カント哲学に出会うことでみずからの方向性を確信し、学者としてではなく、政治家として政治哲学を実践する道を選ぶ。しかし同時に、ポパーやラッセルら第一線の哲学者たち(「言葉尻の詮索に耽溺して、現実世界を無視するな」と分析哲学を批判)と親交を深めながら、プロデューサーとして長年哲学番組の企画制作を両立させる。われわれの経験を越えた何かについて「語ることはできない」ですませるものは哲学ではないと、著者自身の人生を通して哲学の必要性を実感させられる。分析哲学批判も、外部からのものではなく、良質の英米哲学の明晰さをそなえた内部からの反省と言えよう。絶版ですが、再版(できれば文庫)が望まれます。
佐伯啓思『自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで』講談社現代新書
長い間「選択の自由」を死守すべく思索を重ねてきましたが、最近になって憑き物が落ちたようにその呪縛から解かれました。「個人の自由」は文字通りの意味では人間の本質ではないと、この著者の見解に同意できるようになりました。今読むと、なかなかうまく説明しているように思えます。「個人の」自由に固執している人にぜひ一読をお勧めします。
山竹伸二『「認められたい」の正体 承認不安の時代』講談社現代新書
現代では「自由」の名の下に「個人」が尊重されるからこそ、人は自分に自信や誇りをもつことが困難になっています。そういう時代にあって「空虚な承認ゲーム」をどう抜け出すかの「考え方」を教えてくれる希望の書(『社会的ひきこもり』(PHP新書)の著者斉藤環氏曰く)です。
ケント・グリーンフィールド『〈選択〉の神話 自由の国アメリカの不自由』紀伊國屋書店
私たちの〈選択〉は操作されています。それにもかかわらず「自己責任」の名の下に全責任が「個人」に課せられるのが自由主義社会です。本書は実例を多く用いてやさしくその現状を説明しています。シーナ・アイエンガーの『選択の科学――コロンビア大学ビジネススクール講義』(文藝春秋)に惹かれた人は、勘違いしてしまわないように、本書も合わせて読むべきです。彼女自身も本書を推薦しています。
中山智香子『経済ジョノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』平凡社新書
哲学するにも経済問題は避けて通れないと痛感するこの頃です。半世紀前からいわゆるリバタリアニズムが「自由」の名を騙っていかに世界を席捲してきたかの、必須の見識を与えてくれる本です。ジェノサイド(集団殺戮)は「自由」の名の下に生じているのです。
池田信夫『もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら』日経BP社
明日にも現実に起こりうる(そのことは読めば分かります)日本の国家破綻の危機と、それに便乗するフリードマン主義の台頭の様子を、漫画で分かりやすく描いてます。上の中山智香子さんが訴える危険は日本にも迫っているのです。
麻生博之・城戸淳編『哲学の問題群――もういちど考えてみること――』ナカニシヤ出版
今の時代にはじめて哲学にふれる人の関心を刺激するようなみずみずしい問題意識にあふれています。同時に、人類の貴重な知的財産と言うべき二千年以上にわたる哲学の歴史的な蓄積にも導いてくれます。ただし、学説史的なことがらはほんのさわりだけの紹介です。これを突破口にして、それぞれの読書案内を参考にして関心を深めてください。
篠澤和久・馬渕浩二編『倫理学の地図』ナカニシヤ出版
「倫理学とはなにか」「どのような立場があるのか」について一通り知っておきたい人が興味をもって読める本で、今いちおしです。とくに第2章の「義務論」の章は、カントに即しながらも、身近で、かつ、深い洞察を伝えてくれます。
田中朋弘『文脈としての規範倫理学』ナカニシヤ出版
規範倫理学についてこれほど痒いところに手が届く解説ははじめてです。とても丁寧に論じ尽くしています。
中島義道『差別感情の哲学』講談社
『うるさい日本の私』(『〈対話〉のない社会』)や『後悔と自責の哲学』と並んで、中島さんの代表作とすべきものだと思う。「正義」と「差別」との表裏一体の関係、いや、そもそも「個人の感受性を尊重すること」自体が「差別」と切り離せないということをここまでえぐることは、決して気持ちのいいことではないけれども、「自分は正しい」と思っている人、「人の気持ちを大切にしたい」と思っている人は一読しておいたほうがいい。
ただし、読む場合は必ず最後まで熟読し、「よく考える」ことを約束してほしい。その覚悟がなければ手に取るべきではない本だ!もっと毒が少ないが中島さんも最後に引用している好井裕明『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』(平凡社新書)をお勧めする。
宮台真司『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』世界文化社
売れてるそうですが、人間の「尊厳」や「自由」についてうまく問題を整理し、分かりやすく(かつ、きれいごとに終わらない実践的技術こみで)表現する術については脱帽するほかありません。中学生へのプレゼントとしても有効でしょう(大学生や中高年へも!?)
(ただし、哲学的思考としては物足りないと思われるところや、特にカントの理解に関しては単純化しすぎで語弊があるところもあります。その辺については、専門科目で言及します)。
上田紀行『かけがえのない人間』講談社現代新書
上田さんも似たようなことを強調するようになりました。優しい語り口です。宗教学や心理学に興味のある人にお勧めします。
戸田山和久『論文の教室 レポートから卒論まで』(NHKブックス)
「レポートや論文の書き方」について現時点でかなりお勧めの本です。保呂先生や橋本先生も推奨しています。
光文社古典新訳文庫にカントの中山元訳がぞくぞくとでています。
『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』
『純粋理性批判』
『道徳形而上学の基礎づけ』
『実践理性批判』
日本語でカントが読める初めての訳業と評判です。むろん、厳密に読むなら原書に当たらねばならないのですが、この訳の日本語に置き換える力には脱帽するしかありません。最初のものには、「啓蒙とは何か」をはじめとしてアクチュアルな問題意識に貫かれた論文ばかりが収められています。そのあとの諸著作はカントの代表作ばかりです。これで一般のドイツ人がドイツ語原典で読むよりも、ふつうの日本人のほうがカントを理解できるようになりましたね。
宇都宮芳明『カントの啓蒙精神』岩波書店
「未成年状態を脱し、自分で考えよ」というカントの啓蒙精神は、彼の哲学全体を貫いている基調です。本書は、カント哲学の全体がどのように組み立てられているか、その見取り図を見事に描いています。カントが啓蒙を訴えている相手は、実は子どもではありません。「最近の若者は自分で考えない」と非難するのはお門違いで、まず大人が自らを啓蒙しなければならないというのが彼の主張です。しかも、カント没後200年を経過しても、このことはなされておらず、そのことが人類の将来を暗くしていると言います。カントの啓蒙精神は、ヘーゲルなどに曲解されて埋もれてきたけれども、実は現代にも通用し、それどころか、最も有効であるということを説得的にまとめ上げています
恩師 角 忍 先生の『カント哲学と最高善』創文社
カントの「自律」思想は、「道徳法則」が「自由」の「認識根拠」とされるとともに、「最高善」が「純粋実践理性」の「究極目的」として規定されるに至ってはじめて確立するということを突きとめ、「形而上学」と「道徳」と「宗教」との関係を明確に解き明かした、カント研究の決定版です。これによってカント研究史は塗りかえられるでしょう。
以下は、昔作成したリストです。
固有の感受性を何より大事にする哲学者の本
中島義道『〈対話〉のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの』PHP新書
日本と欧米の言語コミュニケーションのあり方の違いを見事に言語化した本。この違いは人間関係のとり方や生き方の違いともつながっている。この本が気に入ったら、同じ著者の『うるさい日本の私』(新潮文庫)、『うるさい日本の私、それから』(洋泉社→『騒音文化論』講談社+α文庫)、『哲学者のいない国』(洋泉社→『哲学者とは何か』ちくま文庫)などもある。講演集『たまたま地上にぼくは生まれた』(講談社)もいいだろう。
中島義道『戦う哲学者のウィーン愛憎』角川文庫
上の本とは逆に、欧米人の傲慢さを描写し、「日本人でよかった」と思える本。33歳になってもなんら将来の展望がなかった著者が、「もう何も失うものはない」と決断して私費でウィーンへ飛ぶ。そこで出会うトラブルまたトラブル。読み物としておもしろい留学記。きれいごとではないヨーロッパ文化の姿を垣間見ることができる。
中島義道『怒る技術』PHP(文庫になったらしい)
感受性が乏しく覇気のない若者、ささいなことでキレる若者、どちらも日本特有のある原因に由来する。へたな心理カウンセラーよりも、よほど参考になる。日本人は実は「感情」を大事にしているわけではないことがわかる。日本を覆う「幸福教」を批判した『不幸論』(PHP新書)も著者らしい。
中島義道『哲学の道場』ちくま新書
やさしい哲学入門書の氾濫を目の当たりにして「哲学がやさしいはずがないだろう!ウソを言うな!」と憤慨した著者が、哲学の難しさを「わかりやすく」書いた本。哲学の裏の世界(生身の哲学者)を知りたい方にもお勧め。同じ著者にはベストセラーの入門書『哲学の教科書 思索のダンディズムを磨く』(講談社)もあるのですが……。
中島義道『悪について』岩波新書
今まで中島さんのカント研究書には今ひとつ乗り切れなかったのですが、これには感服しました。これまでの中島さんの実践とカント理解とが見事に結実。カントを真面目で退屈な学者さんとお思いの方、大間違いです。なお、『後悔と自責の哲学』(河出書房新社)では、中島さんの全著作が一望できるような視点が得られます。2008年4月に中島さん自身も参加したこの本の合評会で、私が特定質問者を務めさせていただきましたが、中島さんもこの合評会には満足しているように見えました。酒場に向かう道すがらに話したことは、「我々は生まれ育ちが違うので表現が全く異なってしまったが、実は違わない」ということでした。私も同感なのです。
中島義道『「人間嫌い」のルール』PHP新書
中島さんにもらいました。私も「人間嫌い」のネットワークの一員なのでしょうか(笑)。誤解のないように少しだけ言っておきますが、ここで嫌われている「人間」とは、「人間のある一面」のことにすぎません。また中島さんは、実際には、平均よりはるかに多くの「人間」と日々かかわりあって生きています。ただ、お義理で相づちを打つような接し方をしないだけです。
若者の現状や教育について社会学から
土井隆義『「個性」を煽られる子どもたち 親密圏の変容を考える』岩波書店(岩波ブックレットNo.633)
若い人たちの人間関係のあり様やアイデンティティのもち方の現状と問題点については、この十年ぐらいに推薦者自身が考えてきたことと驚くほど一致しています。見事な整理ですね。次に求められるのは対策です。 『友だち地獄 「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書)でさらに追求。
宮台真司・藤井誠二・内藤朝雄『学校が自由になる日』雲母書房
「従来の自尊心の生まれる根拠は、仲間や組織の秩序と一体化する「所属による承認」だったが、それは二次的なものにして、これからは、自分の力で試行錯誤して失敗や成功の積み重ねの中で、「多様な他者との出会いの中で得られる承認」の経験をベースにして自尊心を獲得してほしい」と言う宮台が日本社会と学校の問題の核心を解明した上で、変革の具体策を提言。内藤朝雄は、従来の学校で必然的に「いじめ」が生じるメカニズムを分析し、教育制度の具体的な抜本改革案を提示。密度濃い。宮台には、他に、宮台編『教育「真」論』(ウェイツ)、宮台・尾木直樹『学校を救済せよ 自己決定能力養成プログラム』(学陽書房)、『世紀末の作法 終ワリナキ日常ヲ生キル知恵』(角川文庫724円)、『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社)、『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日文庫)、藤井との対談『学校的日常を生きぬけ 死なず殺さず殺されず』(教育史料出版会)、共著『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)、コーディネーターをつとめた『〈性の自己決定〉原論 援助交際・売買春・子どもの性』(紀伊國屋書店)、そして簡便な総まとめとも言うべき『これが答えだ!』(飛鳥新社)、本格論文集『自由な新世紀・不自由なあなた』(メディアファクトリー)などがある。
関連ホームページhttp://www.miyadai.com/
宮台真司・速水由紀子『サイファ覚醒せよ! 世界の新解読バイブル』筑摩書房
いささかオカルトチックであやしい本だが、実は、「多元的なアイデンティティ」について論じながら、社会学、哲学、倫理学、そして何より宗教というもののポイントをまとめきった驚きの本。断片的だった宮台の分析と主張が荒削りながら一冊に整理された。
雑誌『談』no.70(特集 自由と暴走)たばこ総合研究センター[TASC]
大澤真幸(「〈自由〉の条件」『群像』)×廣中直行(『人はなぜハマるのか』岩波科学ライブラリー)「人間的」自由と「動物的」自由」、森村進(『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』講談社現代新書)「リベラリズムからリバタリアニズムへ」、稲葉振一郎(『リベラリズムの存在証明』紀伊国屋書店)「自由主義の課題」、仲正昌樹(『「不自由」論−「何でも自己決定」の限界』ちくま新書)「虚構としての〈自由な主体〉」。「自由」についての日本の第一人者たちの談を収録。
自尊心関係
芹沢俊介『現代〈子ども〉暴力論〈増補版〉』春秋社
人が自由になる条件を「イノセンス」という観点から論じる。
西山明『自尊心泥棒 子どもを理解できない大人たち』三五館
生まれた時が人間にとって最高に幸福な時で生きていくにつれて自尊心は盗まれるのか。
信田さよ子『愛情という名の支配 家族を縛る共依存』海竜社
「アダルト・チルドレン」は病名ではない。AC概念の正しい使用法。『依存症』(文春新書)も。
宗教と対決する宗教家 いのちについて語る
森岡正博『宗教なき時代を生きるために』法藏館
科学者を志して東大に入学したものの、哲学的宗教的問いを払拭できないが故に挫折し、カルト集団にとらわれた体験をもつ現代日本を代表する哲学者が、みずからの古傷を赤裸々に告白しながら、「自分の目と頭と身体とことばで考える」ことの必要性を、満身の力を込めて訴える。「自立した個の連帯」を標榜する森岡氏であるが、「自律した「個人」がお互いに契約を結んで社会を構成してゆくという近代市民社会の原理に疑いを投げかけ、それに替えて、完全には自律できにくい人間どうしがお互いに「ささえあって」ゆくという形の社会原理の可能性を探」ることも忘れてはいない(『「ささえあい」の人間学 ──私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探究──』法藏館)。
著者のホームページhttp://www.lifestudies.org/jp/index.htm
森岡正博『自分と向き合う「知」の方法 考える力をどう磨くか』PHP研究所
「自分のことを棚に上げて安全な傍観者の位置から他人や社会のことを批評する」マスコミやこれまでの大学教育には吐き気すら覚える森岡氏が、「自分自身」を突き詰めるための学び方を提唱する。日本でもっとも行動的な学者の一人である著者が「欲望」、「性愛」、「死」などについて語ったエッセイを収録。
森岡正博・6つの対話『現代文明は生命をどう変えるか』法藏館
好評だったNHK未来潮流「生老病死の現在」のもとになった第一線6氏と森岡氏との対話。「私たちひとりひとりの欲望と、管理社会のシステムと、現代科学が、複雑な相互依存の関係を作り上げているのだ。学校のいじめと、生命の選択と、地球規模の環境問題は、根っこが同じだ。これは、文明全体のスケールでおきている何かなのだ」。現代文明はわれわれを「これから直面するかもしれない「苦しみ」や「つらさ」をあらかじめ巧妙に回避し、かすかな不安に満ちた安定と守りの人生をただ反復しようとする世界」に連れていこうとしている。「他の生命と予期せぬ出会いをすることをめざすかわりに、生命を所有しコントロールすることによって、みずからの願いをかなえようとする生き方である。それを、現代の科学技術と社会システムがサポートする。先端医療における生命の選択や、学校教育における高度な管理化から見えてくるのは、こういう方向に進もうとしているわれわれの文明の姿なのではないか」。
日本人には一読してほしいサヨク批判
小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 脱正義論』(マンガ)幻冬舎
薬害エイズ訴訟を支えるボランティアの学生たちとかかわった一連の事件の始末記。善意で集団行動にかかわるすべての人にぜひ一読してみてほしい傑作。竹田青嗣が適切に評して言う。「小林が出会った難問はこうだ。人が世の矛盾や不合理にぶつかったとき、なるようにしかならないと諦めるか、それとも完全な社会を実現するまで徹底的に闘うか、このどちらかの道しかないのだろうか、と。……この本全体から強く伝わってくるのはそんな馬鹿げた二者択一しか存在しないはずがない、という小林の思想的な確信なのである」。姉妹編に『差別論スペシャル』(解放出版社)、『戦争論』(幻冬社)もあるが、信じやすい人には後者は勧めない。読むなら先に本書を読んでおいてほしい。竹田青嗣、橋爪大三郎との対談『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家 自分と社会をつなぐ回路』(径書房)もいい!
人の弱さを知る宗教学者の暖かな語りも
上田紀行『生きる意味』岩波新書
経済的不況よりもはるかに深刻な「生きる意味の不況」の中で、「本当に欲しいもの」がわからない「空しさ」に苦しむ人へ。地球上で一握りの人のみに許された豊かさの中で、何が私たちから「生きる意味」を奪っているのか。「かけがえのなさ」の喪失はどうして生じたのか。時には命をも奪うほどのこの苦しみはどこから来るのか。その原因を探り出し、そこを突破して、いかに自分自身の人生を創造的に歩むことができるかを考えたい。苦悩をむしろバネとして未来へ向かうために、いま出来ることは何か。生きることへの素直な欲求を肯定し会える社会、ひとりひとりの生きる意味に支えられた真に豊かな社会の未来図を描き出したい。著者渾身の熱い応援メッセージ。
ホームページhttp://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/
上田紀行『癒しの時代をひらく』法藏館
「多重人格」、「マインドコントロール」、「人格改造セミナー」などの「癒し」をめぐる現象の意味と危険性を解明して、日常世界における「洗脳」を問題視する。高校時代に「学校には、人間にとって大切な何かが決定的に欠けている」という思いを抱き、ノイローゼ気味になったり、大学時代にはカウンセラー通いを経験した筆者だけに、人間の弱さを知っており、暖かい。
上田紀行『日本型システムの終焉 自分自身を生きるために』法藏館
勤務する大学で、「自分の頭で考え、創造的に行動しようとする「光るもの」を持ったごく少数の学生が、元気がなく無力で体勢に迎合的な大多数の雰囲気の中で無視され排除され孤立し力を失っていくのを見」た筆者が、「家族関係や親子関係を通じて幼少時からわれわれの心に深く浸透し、公教育によって増幅され、社会経済的なハードなシステムによっても裏打ちされている、極めて強力な日本型システム」の閉塞した悪循環の構造を解明して、〈個〉の価値の創造者としての新たな生き方を提唱する。なお、「賢治の学校」で有名な鳥山敏子との対談『豊かな社会の透明な家族』(法藏館)でも、「学校」、「教育」、「性」、「家族」、「暴力」についての熱のこもった議論が読める。
上田紀行『覚醒のネットワーク こころを深層から癒す』講談社+α文庫
最初、仙台の小出版社から出版された本書は、読んだ人が数十冊買って周りの人に配ったり、1冊の本が回し読みされたりと、口コミと手渡しで広まってゆき、本屋の店頭にほとんど並ばないにもかかわらず、4万部近くも売れ、著者には講演依頼が相次いだ。「なんとなく満たされない。孤独感や無力感にとりつかれる。そんな落ち込んだり傷ついたりしがちな心理状態」から覚醒し、もっと生き生きする生き方を示す。
哲学入門関係
竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』ちくま学芸文庫
若いころに10年以上にわたって哲学の難解さに悩まされた著者が、「なーんだ、哲学ってこういうものだったのか!」という腑に落ちる感じを受けとり、突然霧がはれて視界が開けたいきさつを暴露してくれる哲学入門書の定番。「わたしたちはいろんなものごとを「自分で」考えていると思っている。しかしたとえば、わたしたちの抱く欲望が、ある意味でおよそすでに世の中にある欲望の可能性をなぞることしかできないように、わたしたちの考えは、たいてい、すでに世の中にある(あるいはすでに自分の中にある)考え方の枠組をなぞることしかできない。ものごとを「自分で」考えるとは、じつは自分の習慣的な考え方(それはまた社会的な習慣でもある)の枠組を底から見直し、その考え方を絶えず“書き換えて”みることなのである。・・・このように習慣的な自分の考え方に逆らって考えることは、自分の(=世間から受けとった)習慣的な考え方では、どうしても自分が苦しく、行き詰ってしまう場合に“役に立つ”。……哲学的な言葉の使用がわたしたちに最終的にもたらすのは、結局哲学するものにとっての自己了解、自己と他の“関係の了解”ということなのである」。推薦者は、哲学的立場の点では著者と袂を分かつ者であるが、「哲学すること」そのものの彼の理解には強く共鳴する。よって、本書を「哲学すること」への最良の入門書のひとつとして推薦する次第である。他に『ニーチェ入門』、『プラトン入門』(ちくま新書)、『はじめての現象学』(海鳥社)、橋爪大三郎との共著『自分を活かす思想・社会を生きる思想』(径書房)などがある。
永井均『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書
「哲学を学ぶとは、西洋哲学史上の人物の書いたものを読んで、理解することだと思っているひとが多い。しかし、そういうやり方で、哲学の神髄に触れることは、絶対にできない。本人にとってはどんなに興味深い、重大な意味をもつものであっても、他人の見た夢の話を聞くことは、たいてい退屈なものだ。それと同じように、他人の哲学なんて、たいていつまらないのがあたりまえだ。おもしろいと思うひとは、たまたま自分によく似たひとがいただけのことである。何の手だてもなしに、自分ひとり、はだか一貫で、哲学をはじめるやりかたとして、ぼくが伝授したいやりかたは、大人になるまえに抱き、大人になるにつれて忘れてしまいがちな疑問の数々を、つまり子どものときに抱く素朴な疑問の数々を、自分自身がほんとうに納得がいくまで、けっして手放さないこと、これだけである。大人は、世の中で生きていくということの前提となっているようなことについて、疑問をもたない。子どもの問いは、その前提そのものに向けられているのだ。この問いが世の中で意味のある問いとして認められるかどうかは、問いの価値とは関係ない。自分が自分の世界と自分の生を自分の仕方で理解することができたなら、それだけでいいのだ。それでもやはり、みんなに理解してもらえるような議論として整える努力は必要だ。なぜなら、それが自分に理解できるための条件でもあるし、また単なる世界観や人生観とは異なる哲学の真骨頂でもあるからだ」。著者は、自身の子ども時代を振り返りながら、いわば素手で考えていくやり方のようなものをつかませようとする。「哲学の議論は、通常の討論とは逆に、自分では気づかない自説の難点や弱点を相手に指摘してもらうことだけをめざしておこなわれる。……大森荘蔵さんと議論したとき、彼が完璧に哲学的であると感じた。大森さんは現在の自説が有効に論駁されることにしか興味をもっておられないようであった。……哲学の場合、友人と論敵はぴったり一致する。同じ問いを共有し、協力してそれを徹底的に解明し尽くしたいと思う友人としか、そもそも敵対することができないからだ」(ちなみに本書は竹田青嗣や中島義道に対する批判を含んでいる)。内田かずひろの絵を交えた正真正銘の子ども向け『子どものための哲学対話 人間は遊ぶために生きている!』(講談社)もある。
永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない』ナカニシヤ出版
「この本は中学生・高校生向きの哲学の本です。……この本の内容は、すでにある哲学説の紹介ではなく、哲学的な議論そのものですから、実質的には、かなり高度な内容を含んでいます。……しかし、哲学の理解に関しては、中学生よりも専門家のほうが優れているとはかぎりません。この本の語っていることが、たとえ専門家には理解されなくても、中学生・高校生には理解される可能性を、私は信じています。……よくわからないところにあまりこだわる必要はありません。むしろ、自分にとってよくわかる問題を考え抜いてみてください。哲学に関しては、色々な学説を知るよりも、ひとつの問題を考え抜くほうがはるかに大切です。インサイトが語ることに説得力を感じなければ、それを信じ込んではいけません。なぜ説得力が欠けているのかを考えるところから、あなたの哲学が始まるのです」。「私は九十年代が哲学の時代だなどという話はまったく信じない。哲学することが流行したことなどかつてなく、これからもない。しかし、人間が哲学することをやめたことはかつてなく、これからもない。ただそれだけのことだ。一般の理解に反して、哲学とは主義主張や思想信条のことではない。その正反対である。哲学とはむしろ、主義主張や思想信条を持つことをできるだけ延期するための、延期せざるをえない人のための、自己訓練の方法なのである。少なくとも、本書が思想書として読まれるようなことだけはないようにと、私は願っている。……私は、『ソフィーの世界』を哲学の本だとは認めない。あれは、物語に絡めた思想史の本にすぎない。……もし、すべての子どもに哲学が必要だとすれば、それは裸一貫でものを考える訓練としてであり、それ以外ではない……われわれの文明はすでに多くの学ぶべき学知を蓄積しており、学校教育は知識の習得の場とならざるをえなくなっている。だが、ものごとを深く考えるためには、根底に達するまでの理解なしに覚え込んだ知識は、かえって邪魔になるのだ。世界があり、自分がいて、他の人もいる。物が見え、体が動かせ、言葉がしゃべれる。それだけでも、思考の材料としてはすでにじゅうぶんすぎるほどなのだ。まずそこからものを考え始め、知識を学ぶのはその後からでも遅くはないのだけれど」。
永井均『これがニーチェだ』講談社現代新書
筆者は、1993年6月21日付けの『週間読書人』でニーチェをめぐって竹田青嗣と対談し、考えの違いを窺わせていたが、ここにずばりニーチェを主題とする本が上梓されたことにより、比較が可能となった。「人を殺してはいけない理由などない」など刺激に満ちた内容が満載。著者には<道徳の系譜>シリーズ『ルサンチマンの哲学』、『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出書房新社)もある。もっと専門的な著者の本が読みたい人には『〈私〉のメタフィジックス』(和辻賞受賞、中島義道曰く「哲学の根本問題を「みずからの言葉」で語りだすことに成功したわが国では数少ない著書の一つです。現代日本で「私」について、この人ほど思索をめぐらした人はいません」)、『〈魂〉に対する態度』(柄谷行人や大森荘蔵に対する批判を含む)、『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房)がある。
鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』講談社現代新書
昨今の「じぶん探し」ブームの危険を指摘。「〈わたしはだれ?〉という問いには答えはない。とりわけ、その問いをじぶんの内部に向け、そこになにかじぶんだけに固有なものをもとめる場合には。だれかある他者にとっての他者のひとりでありえているという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見いだすことができるだけだ。問題なのはつねに具体的な「だれか」としての他者、つまりわたしの他者であり、したがって〈わたしはだれ?〉という問いには一般的な解は存在しないということである。ひとはそれぞれ、じぶんの道で特定の他者に出会うしかない」。エッセイ集『普通をだれも教えてくれない』(潮出版社)、『悲鳴をあげる身体』(PHP新書)などもある。
冨田恭彦『哲学の最前線 ハーバードより愛をこめて』講談社現代新書
「相手を理解するとはどのようなことだろう?」クワイン、デイビッドソン、サール、ローティら、現代最高の哲学者たちの主要な議論がみるみるわかるガイドブック。同じ著者でもう少していねいな本『科学哲学者柏木達彦の多忙な夏 ─科学ってホントはすっごくソフトなんだ、の巻─』、『科学哲学者柏木達彦の冬学期 ─原子論と認識論と言語論的転回の不思議な関係、の巻─』、『科学哲学者柏木達彦の秋物語 ─事実・対象・言葉をめぐる四つの話、の巻─』、『科学哲学者柏木達彦の春麗ら ─心の哲学、言語哲学、そして、生きるということ、の巻─』(ナカニシヤ出版)などがある。
野矢茂樹『哲学の謎』講談社現代新書
『論理学』(東大出版会)、『論理トレーニング』(産業図書)などの著者が、「生物が絶滅しても夕焼けは赤いか」、「5分前世界創造仮説」などのおもしろい哲学的話題を対話の形で明快に紹介してくれる。同じ著者のもっと専門的な書は『心と他者』(勁草書房)、『哲学・航海日誌』(春秋社)。
西研(著)・川村易(絵)『哲学のモノサシ』、『自分と世界をつなぐ哲学の練習問題』NHK出版
絵と平易な文章でつづった最もやさしい哲学入門書。まったくあくがなく、安心して読める。西研は、森下育彦と共著で『「考える」ための小論文』(ちくま新書)という要領のいい参考書も書いている。
大森荘蔵『流れとよどみ ─哲学断章─』産業図書
この「読書案内」にでてくる多くの人に絶大な影響を与えた当の本人の文章に触れてみるのもいいだろう。この本は『朝日ジャーナル』の連載をまとめたものなので、比較的読みやすい。他に、中島義道が中心になってまとめた『哲学の饗宴 大森荘蔵座談集』(理想社)もとっつきやすいだろう(雑誌『現代思想』1997.4には、吉田夏彦、村上陽一郎が興味深い追悼文を寄せている)。
トマス・ネーゲル『哲学ってどんなこと?――とっても短い哲学入門――』昭和堂
哲学のネタは,世界からそして世界と私たちの関係から直接生まれるのであって,過去の著作から生まれるのではない。
高橋哲哉『反・哲学入門』白澤社
「だまされないために哲学をするというのも哲学の動機として重要なことだと私には思われます。国家権力者に、似非イデオローグに、マス・メディアにだまされたくない。……ごまかしやカラクリを見破るためにものを知り、判断力を研ぎすます、それが私の考えている哲学です」。本書の元になった文章は、なんと教員採用試験受験者のための雑誌『教職課程』に連載されました。日本も変わってきてます。
池田清彦『正しく生きるとはどういうことか』新潮社
ボランティアをしないと教員免許が取れないという法律が作られたとき,昔もらった教員免許をズタズタにして野菜のクズと共にゴミ箱に捨てた教育学部教授の本
どちらかと言えばノンフィクションを好むあなたへ
小浜逸郎『「弱者」とはだれか』PHP新書
障害者が困難を乗り越えて何か栄誉を獲得したときのことさらな拍手や賛美には「一見弱者の実存に温かく寄り添っているように見えて、じつは逆に、「弱者」という社会的なスティグマ(聖痕)を彼らに刻みつけ、健常者との集団的境界線を不必要に強く引く働きがある……しかも、このことは、彼らを「称揚する」というポジティヴな形で行われるために、そこには、だれもそれに逆らえないばかりか、違和感を持つという瞬間的な心の動きをも殺してしまうような抑圧的な力が働く」といった、非常に鋭い指摘が満載。自由で豊かな現代は,人倫のタガが緩んだ「退屈と空虚と焦燥の時代」でもある。時代が要請する10の根源的難問について力の及ぶかぎり考えた『なぜ人を殺してはいけないのか 新しい倫理学のために』(洋泉社新書)もいい。
立岩真也『私的所有論』勁草書房
出生前診断や障害者の自立などの現実的問題に取り組む現代社会学の最前線。
著者を中心とするホームページhttp://www.arsvi.com/は「生命・人間・社会」をめぐる情報の宝庫である。
江原由美子編『フェミニズムの主張』、『フェミニズムの主張2 性の商品化』、『フェミニズムの主張3 生殖技術とジェンダー』、『フェミニズムの主張4 性・暴力・ネーション』勁草書房
橋爪大三郎の「売春のどこがわるい」、立岩真也の「出生前診断・選択的中絶をどう考えるか」など、フェミニズム問題の歴史的論文を収録(先に紹介した『自分を活かす思想・社会を生きる思想』には、この「売春のどこがわるい」をめぐる橋爪へのインタビュー記事が付録としてついている)。「ミスコン問題」や「女性の自己決定権」など話題は尽きない。
加藤尚武『現代倫理学入門』講談社学術文庫
「人を助けるために嘘をつくことは許されるか」、「10人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか」、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか」、「正義は時代によって変わるか」など、現実的なジレンマ・難問を軸に、生命倫理学、環境倫理学などの現代応用倫理学の概要が学べる。同じ著者で、『環境倫理学のすすめ』、『応用倫理学のすすめ』、『現代を読み解く倫理学 応用倫理学のすすめU』(丸善ライブラリー)など多数の入門書がある。
中国新聞文化部編『妻の王国 家庭内“校則”に縛られる夫たち』、『男が語る離婚 破局のあとさき』、『長男物語 イエ、ハハ、ヨメに縛られて』、『ダメ母に苦しめられて』ネスコ
「中国新聞」に連載され、話題沸騰した「男はつらいよ '97」「男はつらいよ '98」の増補単行本。男と女の関係について哲学させられる好著。中国新聞ホームページでも読める。