ジョン・ヴェンの図形のオリジナリティ
橋本康二
一 はじめに
ジョン・ヴェンが名辞論理の命題をグラフィカルに表示するために考案したヴェン図は、それ以前から存在していたレオンハルト・オイラーの図形と比べると、いくつかの点で違っているところが見いだされる。もっとも明らかな違いは、非存在を表す図形「影」、および、存在を表す図形「×」がジョン・ヴェンの図形において導入されている点にある(1)。この論文では、このふたつの図形「影」と「×」のオリジナリティの問題を考察する。第二節では、非存在を表す図形は必ずしもジョン・ヴェン独自のものとは言えないことを、彼自身の言葉に導かれて確認する。第三節では、存在を表す図形は、通説とは異なり、ジョン・ヴェン自身による発明であるということを見る。さらに、そうではないという通説が生じた理由は、ジョン・ヴェンの著作の版の違いに注意が払われなかったことにあるのではないか、という指摘を行う。
二 非存在を表す図形
ジョン・ヴェンが最初に彼のヴェン図を発表したのは一八八〇年の論文「命題と推論の図形的機械的表示について」(2)であり、この論文を書き換えたものが、翌年一八八一年の著作『記号論理学』(3)の第五章「図形的表示」となっている。オイラーの図形は、同じようなものがオイラー以前にもあり、その発明者をオイラーだとすることは適切とは言えない(4)。では、ジョン・ヴェンのヴェン図は彼のオリジナルなのだろうか。この問題に関しては、ジョン・ヴェン自身が文献調査を行っている。ヴェン図の特徴のひとつは影を使用することであり、これはエルンスト・シュレーダーの著作(5)とアレクサンダー・マクファーレンの著作(6)にも見られるが、その使用方法は自身のものとはまったく異なるとジョン・ヴェンは指摘している(7)。例えば、シュレーダーは図1を用いている(8)。
図1
ジョン・ヴェンならば、この図によってひとつの命題を表現することになるのだが、シュレーダーの場合はそうではない。彼はこの図を使って、現代の集合論の言葉に直して言うと、「円aが表す集合と、円bが表す集合と円cが表す集合の合併集合、の共通集合は、影を付けた図形が表す集合である」ということを主張したいのである(9)。この主張は、図形自体が行っているのではなく、あくまでシュレーダー自身が文の形で行っているものであることに注意すべきである。また、この図形に影を付ける必要は必ずしもないことにも注意しておこう。同じことは、「円aが表す集合と、円bが表す集合と円cが表す集合の合併集合、の共通集合は、円aと円bが重なってできる凸レンズ状の図形と円aと円cが重なってできる凸レンズ状の図形を合わせることでできる図形が表す集合である」という文の形で言うこともできるからである。このように長く分かりにくい表現を避けるための手段として用いられているのがシュレーダーの影である(10)。
ジョン・ヴェンはまた、ヨーゼフ・ミッヒの著作(11)にも影が使われていることを指摘し、これはシュレーダーやマクファーレンのものよりも自分のものに近いが、やはり異なる、と述べている(12)。ミッヒが用いたのは図2である。
図2
「A」は愉快、「N」は有用、「B」は活動を意味し、この図は活動について、次の4個の主張を行っているとミッヒは考えている。
(1)活動の中には愉快でもなければ有用でないものが存在する
(2)活動の中には愉快でしかも有用なものが存在する
(3)活動の中には愉快だが有用ではないものが存在する
(4)活動の中には有用だが愉快ではないものが存在する
しかし、ジョン・ヴェンの診断は、ミッヒの図は主張を行っているという点でシュレーダーやマクファーレンのものより自分の図形に接近しているのだが、オイラーの図形も主張は行っており、ミッヒの図は依然としてオイラーの図形の段階に留まっている、というものである。オイラーの図形は、ある性質を持つ物が存在するときは、その物の集まりを図形で描き、存在しないときは、何も描かないのであり、したがって、それだけで、「・・・は存在する」や「・・・は存在しない」ということを主張していると見なせるのであった。ミッヒの図形も同様である。図2で三つの円が重なりをもつように書かれているのは、それらの領域に物が存在することを主張しているのである。重なりを書かなければ存在しないという主張になる。こうした主張の表現に影は必要ない。ではミッヒの影は何をしているのかと言うと、図形全体のどの部分がどの主張をしているのかを説明するための分かりやすい標識として用いられているだけなのである。すなわち、「1」と書き込まれた影の付けられた図形が右の主張(1)を行っており、「2」と書き込まれた影の付けられた図形が右の主張(2)を行っており、云々、という説明を行うとき、説明を行いやすくするために導入されているに過ぎないのである。要するに、ヴェン図を対象言語とすると、影はメタ言語に属するのである。ジョン・ヴェンのヴェン図の影は対象言語に属する。ミッヒの影はそれとは本質的に異なるのである。
最後に、ジョン・ヴェンはヘルマン・シェフラーの著作(13)に言及しているが、その出版年(一八八〇年)が先に言及した自身の論文の出版年と同じであることを指摘しているだけである(14)。この箇所の記述では何を言っているのかよく分からないが、彼はシェフラーのこの著作の書評も書いており、そこでは、シェフラーが使っている図形に関して、はっきりと次のように述べている。
「主に使われている図形は、馴染みのあるオイラー図であり、そこでは、円ないし他の閉図形が、相互に包含ないし排除関係に立つことによって、命題の言わんとする事を示している。一箇所だけ、シュレーダーがブールから引用した例を論じるとき、彼は私が推薦した方式に訴えている(私は同時期だったと考えている)。すなわち、いくつかの図形を描いて、すべての可能な組み合わせを図形相互の重なりによって表象し、次に、問題の条件によって空にされることが見いだされる部分に影をつける、という方式である。」(15)
シェフラーが実際に使っているのは図3である(16)。
図3
ここでは、a、b、c、d、eという5個の性質がそれぞれ卵形で表され、これらの性質から構成される25=32個の複合性質のおのおのが、5個の卵形を巧妙に重ね合わせることによってできる32個の区画によって表されている(すべての卵形の外の区画が、aでもbでもcでもdでもeでもないという複合性質を表していることに注意)。32個のうちの20個の区画に影が付けられているが、これらの区画は「物がないことを示しており、中身がない空所のように、ないものと考えるべきである」(17)。例えば、中央の左側の大きな区画、すなわち、5個の卵形のすべてが重なってできた区画に影が付けられているが、これは、その区画が表すaかつbかつcかつdかつeという複合性質を持つ物が存在しないということを表しているのである。影の付いた区画はないものと考えて欲しいというわけであるから、図3は先行論文で「ヴェン=オイラー説」(18)と呼ばれた仕方で理解されたジョン・ヴェンのヴェン図にほかならない。同じ一八八〇年に発表されたことを考慮すると、二人は独立に同じ描画方法に到達したと見なすのが妥当であろう。したがって、クレジットは二人に等しく帰すべきである。ただし、ジョン・ヴェンが調べた通り、シェフラーは基本的にはオイラーの図形を用いており、ジョン・ヴェンのヴェン図と同じものは一箇所だけでしか使っていないので、これを一貫して体系的に用いたのは、ジョン・ヴェンがおそらく最初であろう。
三 存在を表す図形
ジョン・ヴェンのヴェン図のオリジナリティを考えるとき、もうひとつ注意しなければならないヴェン図の特徴がある。それは「×」の使用である。ある性質を持つ物が存在することを表すために、「×」ないしそれに類した記号を使用することは、ジョン・ヴェンではなく、チャールズ・サンダース・パースが初めて行ったことである、というのが、一般的な認識である(19)。この認識はパースの全集に収録された論考に依拠している(20)。その論考で、パースは、ある性質を表す図形に影を付けることによって、その性質を持つ物が存在しないことを示すという方法を、ジョン・ヴェンによるものだとはっきりと認めた上で、提示している(そして、パース自身は、影ではなく、「0」(数字のゼロ)を図形の中に置く方法を採用する)。しかし、ある性質を持つ物が存在するということを表す方法に関しては、「×」を置けば簡単だ、という提案を、ジョン・ヴェンに一切言及することなく、おこなっている。これを読むと、非存在を表す記号(影やゼロ)はジョン・ヴェンの発案だが、存在を表す記号(×)はパースのオリジナルなのだろうという印象を受けるのもやむを得ない。しかし、事実はそうではない。存在を表す記号は既にジョン・ヴェン自身が用いているのである。このことは、アミルーシュ・モクテフィとアハチ=ベイコ・ピエタリネンが論文「ヴェン図による存在言明の図形的表象について」(21)で主題として強調したので、既にかなり知られてきていると思われるが、念のため、あらためて確認しておきたい。
モクテフィとピエタリネンが指摘するのは次の二つの事実である。第一は、ジョン・ヴェンは、パースが編集した『論理学研究』(22)の書評(23)において、存在を表す記号を導入している、という事実である。ただし、ある性質を持つ物が存在することを主張したいなら、その性質を表す「区画に一本の棒線を引けば良い」(24)と、言葉で説明しているだけで、実際の図は描いていない。第二は、ジョン・ヴェンは主著の『記号論理学』(25)において存在を主張する実際の図を与えている、という事実である。そこに見られるのは図4である(26)。
図4
図4では、書評で述べていたような「一本の棒線」は使われておらず、その代わりに算用数字が使われている。多数の横線による影は存在しないということを表しており、存在するということは算用数字によって表されているのである。図4の全体は、語学試験でのギリシャ語受験者(G)、ラテン語受験者(L)、英語受験者(E)、フランス語受験者(F)がどうなっているかを表しており、例えば、算用数字「1」に注目すると、これは、ギリシャ語とラテン語と英語の三科目を受験した者が存在するということを主張しているのである(この受験者を「GLE」と表す。以下、同様の仕方で受験者の種類を表す)。ただし、算用数字には単なる存在以上の意味が込められているので、少し説明しておきたい。
単なる存在を表すには、先に見た書評で述べられていたような棒線で十分である。存在することを縦線による影を描くことで表すとすれば(27)、「GLEが存在する」は、図5で表すことができる。
図5
ここで、これらの受験者とフランス語の受験者との関係を考えたいとする。そのときには、図6のように図を描かなければならない。
図6
このように考えるとGLEF(フランス語も受験したGLE)とGLEF(傍線は否定を表し、ここでは全体でフランス語を受験していないGLEを意味している)のふたつの区画に縦線による影が描かれることになるが、その意味には注意しなければならない。もしも元の主張が「GLEが存在しない」であれば、それは「GLEFは存在しない、かつ、GLEFも存在しない」という連言を意味している。しかし、「GLEが存在する」は、「GLEFは存在する、あるいは、GLEFは存在する(ないし、両方とも存在する)」という(非排他的)選言を意味している。したがって、GLEFとGLEFの両方に縦線による影が描かれていても、それは連言ではなく選言として理解しなければならないのである。これは通常の絵画の方法とは異なっている。例えば、テーブルの上に置かれたりんごとみかんの絵が描かれていれば、両方ともテーブルの上に存在していると、つまり、連言として読み解くのが普通である。実際、図6でも、もしも両方の区画に非存在を表す記号である横線による影があれば、GLEFもGLEFも存在しないという連言として読み解くのが自然であるし、そう読み解かれることが当然のように期待されている。したがって、存在を表す縦線による影を選言として読み解くことは、絵の理解としてきわめて不自然である。しかし、不自然で、絵画的手法からかなり逸脱しているかもしれないが、そのように約定した上で図を描くことはできる。すなわち、横線による影が描かれた区画が複数あれば、それは連言であり、縦線による影が描かれた区画が複数あれば、それは選言である、と約定することはできる。しかし、それで問題が完全に解消されるわけではない。今度は、「GEFは存在する」を考えてみよう。これを図で表すと図7になる。
図7
ここで、GEFをラテン語受験者との関係で考えると、図8になる。
図8
では、「GLEは存在する」と「GEFは存在する」の両方を同時に主張した場合、それを図で表すと、どうなるであろうか。普通に考えると、図9になるであろう。
図9
しかし、図9は、先の約定に従うと、「GLEFは存在する、あるいは、GLEFは存在する、あるいは、GEFLは存在する」という、3個の選言肢からなる選言を意味していると解すべきであろう。我々は「GLEは存在する、かつ、GEFは存在する」という連言を表現したかった。連言を図で表現する最も自然な方法は、ふたつのことを同時に一枚の図の中に描き込むことである。しかし、存在を表す縦線による影に関しては、同時に描き込むという技法を既に選言を表すために用いているので、もはや連言を表すためには使えないのである。ここに到って、縦線による影を描くというような単純な方法で存在を表すということは根本的に無理だということが判明する。では、どうするべきか。ジョン・ヴェンが考え出したのが、図4の方法である。そこで取られている方法は、存在命題ごとに存在を表す別の記号を用いて図を作成する、というものである。まず、「GLEは存在する」を図示するときには、存在を表す記号として「1」を使い、これをGLEの区画に描き込む(図10)。
図10
フランス語との関係では、この区画はGLEFとGLEFの二区画に分割されるが、どちらにも「1」を描き込む(図11)。
図11
そして、同じ数字が書き込まれている区画に関しては、選言的に存在が主張されていると理解するのである。次に、「GEFは存在する」の図示では、先ほどとは違う記号「2」を使って、存在を表す(図12)。
図12
ラテン語との関係ではGEFは二分割されるが、両方ともに「2」を描き込む(図13)。
図13
この「2」に関しても、存在を選言的に主張していると理解するのである。「GLEは存在する」と「GEFは存在する」の両方の連言的な主張は、図11と図13を重ねることで表現される(図14)。
図14
ここには図9に見られた困難は生じていない。二つの選言を連言肢にもつ連言「GLEFかGLEFが存在する、かつ、GEFLかGEFLが存在する」が問題なく表現されているのである。なお、「3」と「4」も書き込まれた図4は、希羅英仏の中から任意に三科目選んでも、それらをすべて受験している者が存在する、ということ(選言4個を連言肢にもつ連言)を主張している。
名辞論理で存在命題を考えると必然的に選言の問題に対処しなければならなくなる。パースも、単に存在を表す図形を導入しただけではなく、選言を表すための方法を考案しており、その方法は今日でも用いられることが多い(28)。したがって、存在図形だけではなく選言の装置に関しても、ジョン・ヴェンはパースに先行していたのである、ということは強調しておくべきであろう。ただし、パースの方法の方がジョン・ヴェンの方法よりも一般性を持っていることは認めなければならない。ジョン・ヴェン自身のオリジナリティはどこまでなのかを正確に見積もるためにも、パースの方法を見ておく必要があるだろう。
パースはある性質を持つ物が存在する時、ジョン・ヴェンの非存在図形の自然な応用として、その性質を表す区画に「×」を置くことを提案する(29)。したがって、先程の語学試験受験者の例を使うと、「GLEは存在する」は、図10ではなく、図15のように描かれることになる。
図15
ここでフランス語Fとの関係を考えると、「×」の置かれている区画は二分割されることになり、先の主張は、「GLEFは存在する、あるいは、GLEFは存在する」という選言的主張をしていたことが明らかになる。この選言を主張するために、パースは、図16のように、ふたつの区画に「×」を書き込み、その間を線で結ぶ、という方法を導入する(30)。
図16
線で結ぶということがなされたのは、複数の選言を互いに弁別するためである。例えば、「GEFLは存在する、あるいは、GEFLは存在する」という選言は図17になる。
図17
このふたつの選言を同時に主張する、つまり、ふたつの選言の連言を主張するためには、図16と図17を重ねて、図18にすれば良い。
図18
もしも、「×」が線で結ばれていなかったとすると、図19のようになり、ふたつの選言が同時に主張されているということは読み取れなくなる。
図19
これはジョン・ヴェンの方法を検討するときに見た図9と同じ状況である。彼はこの苦境を抜け出すために、存在を表す記号を選言ごとに別々に用意したのだが、パースは、記号は変えずに、ひとつの選言の中の選言肢を線で結びつけることで、それぞれの選言を区別できるようにして対処したのである。
線で結ぶという方法の導入だけならば、ジョン・ヴェンの方法から本質的な進歩はしていない。本論文の文脈で言えば、パースの方法は実は既にジョン・ヴェンによって完全に先取りされていたのだ、と言える。しかし、パースはジョン・ヴェンの方法を少し改良もしている。すなわち、存在を表す記号「×」だけではなく、非存在を表す記号「0」も線で結びつけることをパースは許しているので、より多様な選言を表現することができるようになっているのである。例えば、図20を見てみよう(31)。
図20
上方の「0」と「×」が線で結ばれている部分は選言「SPは存在しない、あるいは、SPは存在する」を主張しており、下方の「0」と「0」が線で結ばれている部分は選言「SPは存在しない、あるいは、SPは存在しない」を主張している。そして、図20の全体は、これらふたつの選言を連言肢にもつ連言を主張しているのである。この方法だと、表現能力が単に増大するだけではなく、名辞論理のすべての命題(32)を表現することが可能になる。なぜなら、任意の命題は選言の連言(命題論理学でいう連言標準形)として表現することができるので、連言肢の選言の各々を線を使って表し、それをひとつの図に重ねて描くことで連言を表現すれば良いからである。例えば、次の文を考えてみよう。
(ABは存在しない、かつ、ABは存在する)あるいは(ABは存在しない、かつ、ABは存在する)
これは連言の選言だが、次のように選言の連言(=連言標準形)に、意味を保存したまま、変形できる。
(ABは存在しない、あるいは、ABは存在しない)かつ(ABは存在しない、あるいは、ABは存在する)かつ(ABは存在する、あるいは、ABは存在しない)かつ(ABは存在する、あるいは、ABは存在する)
連言肢である各々の選言を線によって表現し、それらをひとつの図に書き込んでそれらの連言を表現すると、図21になる(33)。
図21
しかし、これは複雑すぎて、この図が先に与えられた場合、その意味を把握するには難がある。そこで、パースは、より直観的にわかりやすい第二の方法を導入する。まず、任意に与えられた命題を、連言を選言肢にもつ選言標準形に変形する(34)。そして、選言肢である連言の部分は、線などは使わずに普通に「0」や「×」を書き込んで図を作成する。選言肢が2個あれば、2個の図を作成することになる。最後に、これらの図をいくつかの四角いマスの中に置くことで、これらの図が表す命題(連言の形をしている)の選言を表現するのである。右の例文を使うと、連言標準形に変形する前の元の文が既に選言標準形になっているので、それを基に今述べたように作図すると、図22になる(35)。
図22
以上のように、パースの方法は、任意の命題を表現できるので、ジョン・ヴェンの方法よりも進化していると言える。したがって、この表現能力の大きさに注目すれば、ヴェン図に対するパースの貢献は完全にジョン・ヴェンに先取りされていた、と言うことはできない。しかし、その基本的な部分、すなわち、存在を表す図形の導入と選言を表すための工夫(36)は、通説に反して、既にジョン・ヴェンの著作の中に見ることができるのである(37)。
ジョン・ヴェンは存在を表す記号を自ら導入しておきながら、実はそれを使用することにはあまり積極的ではなかった。その理由のひとつは、これまで見たように、単純な形で図にすることができないからである(38)。もうひとつの理由は、科学では、全称命題を追求するのであって、漠然とした存在を言う特称命題は重要ではないからである(39)。しかし、重視していなかったとはいえ、モクテフィとピエタリネンが強調したように、ジョン・ヴェンが存在を表す記号を自身のヴェン図の中に導入していたのは事実である。しかも、存在を選言的に主張する必要性に気が付き、そのための装置を、後のパースの装置ほどの一般性は持っていなかったが、導入していた。だが、そうすると、なぜパースがこの重要な功績を見落としたのか、また、多くの人がパースに追従して見落としたのか、疑問が出てくるが、モクテフィとピエタリネンはこれに関しては何も述べていない。そこで、最後に、見落としが生じた理由と考えられるひとつの事実を指摘しておきたい。
ジョン・ヴェンが主著『記号論理学』を出版したのは一八八一年である。そして、その後、一八九四年に第二版を出版している。第二版への序文で、彼は、特称命題の議論を拡充したと述べている(40)。そこで両版を読み比べてみると、先程、図4として取り上げた図形、および、その周辺でなされている特称命題の図形表現に関する記述は、初版には存在せず、第二版で付け加えられたものであることが分かる(41)。私が見た限りでは、初版の中では存在を表す記号は使われていない。したがって、初版だけしか読んでない人が、ジョン・ヴェンは存在を表す記号を導入しなかったのだと思うのも、無理はないであろう。そして、パースは問題の論考の中で、「ヴェン氏は自身の『記号論理学』(私は一八八一年の初版を用いている)の中で、・・・」(42)とはっきりと述べている。わざわざこのように述べているのは、パースも第二版の存在を知っていたが、何らかの事情でそれを読むことができなかったからだと思われる。したがって、パースは、ジョン・ヴェンの功績を、不注意で見落としたり、故意に無視していたわけではない、と推測することができるであろう(43)。パースに追従した人々の多くも初版しか参照していないのではないだろうか。ヴェン図の歴史を考えるとき、ジョン・ヴェンの『記号論理学』は、初版と第二版の両方に目を通すべきなのである(44)。
註
(1)オイラーとジョン・ヴェンの図形のより一般的な違いについては、橋本(二〇二一)、(二〇二二)を参照。
(2)Venn 1880.
(3)Venn 1881a.
(4)橋本(二〇二一)の註(13)を参照。
(5)Schröder 1877.
(6)Macfarlane 1879.
(7)Venn 1881a, p. 122n.
(8)Schröder 1877, p. 10. なお、このようにヴェン図に塗られたものは、英語では一般に「shade」と呼ばれているので(ジョン・ヴェンもマクファーレンもそう呼んでいる)、本論文では一貫して、「影」と呼ぶことにしている。ただし、シュレーダーはドイツ語で「Schraffur」という語を使っている(実際はこれに対応する動詞の変化した形)。これは「細かい平行線」、「毛羽(ケバ)」を意味するが、シュレーダーの本を見る限りでは、薄い墨で一面を塗りつぶしたようになっているにすぎない。他方、ジョン・ヴェンの論文や著作では、水平方向の細かい平行線が多数引かれ、マクファーレンの著作では、間隔が少し開いた斜め方向の平行線が描き込まれているので、これらの方がむしろ「Schraffur」と呼ぶにふさわしくなっている。しかし、本論文では、どういう仕方で塗りつぶしているのか、その違いは無視することにする。ただし、影の描き方(横線を引いているか、縦線か)が問題になる場合もあるので、そのときは「横線による影」、「縦線による影」と表現することにする。
(9)合併や共通という集合演算を説明する際に用いられるヴェン図の意味は、橋本(二〇一六)の主題である。
(10)ジョン・ヴェン自身は、ヴェン図の中の部分を指示するために、その部分に「★」(アステリスク)を置いている(Venn 1881a, p. 116)。
(11)Mich 1871. なお、この本は直接見ることができなかったので、以下では、その一部が抜粋されているEdwards 2004の一三頁を参照した。そこにはドイツ語原文ではなく英訳が掲載されているが、英訳を行ったのはM. Gratzke博士であると注記されている。
(12)Venn 1881a, p. 513n.
(13)Scheffler 1880.
(14)Venn 1881a, p. 123n.
(15)Venn 1881b, p. 594n.
(16)Scheffler 1880, p. 742.
(17)Scheffler 1880, p. 742.
(18)橋本(二〇二二)、第三節。
(19)この認識は、Shin 1994a、Shin 1994b、Hammer 1995、Hammer and Shin 1996、Hammer and Shin 1998、Greaves 2002などに見られる。
(20)Peirce, CP 4.357-9.(Peirce 1933への言及は、発行年とページ数ではなく、このように著作集の略号と巻数と段落番号を用いる。)
(21)Moktefi and Pietarinen 2015.
(22)Peirce 1883.
(23)Venn 1883.
(24)Venn 1883, p. 600.
(25)Venn 1881a.
(26)Venn 1881a, p. 132.
(27)ジョン・ヴェンは非存在を縦線による影で、存在を横線による影で表す方法も提示している(Venn 1881a, p. 131)。しかし、本文の図4で見たように、彼は実際に描画する際には横線による影で非存在を表している。そこで、彼の実際の描画方法に沿って、縦線による影で存在を表すことにする。
(28)例えば、論理学研究でヴェン図を大々的に復活させたShin 1994bはパースの方法を採用している。
(29)Peirce, CP 4.359.
(30)Peirce, CP 4.360. ただし、ここではこの方法が言葉で述べられているだけで、実際の図が描かれているのはCP 4.362以降である。
(31)これは、Peirce, CP 4.362, Fig. 35である。
(32)すべての命題というのは、名辞論理の基本命題から真理関数的に構成されるすべての命題、という意味である。問題になっている名辞論理が2個の性質AとBだけを扱っているとすると、その基本命題は「ABは存在する」、「ABは存在する」、「ABは存在する」、「ABは存在する」、「ABは存在しない」、「ABは存在しない」、「ABは存在しない」、「ABは存在しない」の8個である。しかし、「・・・は存在しない」は「・・・は存在する」の否定文になっているので、ここには4個の原子命題があると見なせる。4個の原子命題からは224個の真理関数的複合命題が構成される。これが、この場合のすべての命題である。
(33)Peirce, CP 4.365, Fig. 59.
(34)パースの第二の方法が選言標準形に基づいていることは、Shin 1994b, p. 23で指摘されている。
(35)Peirce, CP 4.365, Fig. 60. 円AとBを包み込んでいる大きな円は議論領域を表す。パースは普通は議論領域を省略して描いているが、マスの中に収めるときには、マスの枠と区別するために、省略できないと考えたのであろう。
(36)ふたつの区画に同じ数字を置くこと(ジョン・ヴェンの方法)、ふたつの区画に「×」や「0」を置いて線で結ぶこと(パースの第一の方法)、二枚の図を並べること(パースの第二の方法)を、本文では、選言的なものと述べてきたが、厳密に言えば、これらは、我々が理解している選言とは異なる。我々が理解している選言とは、我々の日常言語の接続詞「あるいは」、「または」、「か」などの意味として我々が理解しているものである。ジョン・ヴェンの方法は存在命題同士しか結びつけることができないため、我々の理解している選言とは明らかに異なっている。そして、この違いは、この方法に基づいたヴェン図の表現能力を小さいものにしている。他方、パースのふたつの方法は、それに基づいたヴェン図の表現能力を、真理関数という観点に限ると、我々の日常言語と同等のものにしているが、やはり、我々の理解している選言ではない。第二の方法の方で考えてみよう。これは、どちらか一方を選択するという状況を生み出しているため、心理的にも我々の理解している選言概念に近いように思われる。しかし、我々の有する接続詞は他の接続詞と多様な仕方で関わり合うことができるのに対して、パースの方法ではそうなっていない、という違いがある。例えば、我々の言語では「ABは存在する、かつ、(ABは存在する、あるいは、ABは存在する)」という連言文を作ることができる。パースの方法では、後の方の連言肢は二枚の図を並置することで表現できるだろうが、それを前の方の連言肢と一緒に一枚の図の中に書き込むということができないので(そもそも何をすればよいのかさえ理解できない)、この連言文を表現することはできない。この連言文と論理的に同値な文(つまり、その選言標準形)は表現できるが、我々の選言に正確に相当するものはパースのヴェン図には欠けているのである。同様に、連言も欠けていると言うことができる。ふたつのものを一緒に一枚の図の中に書き込むという状況は、やはり我々の連言理解に心理的に極めて接近しているように思える。というのも、我々の日常言語では、ふたつの文を接続詞なしで単に並置するだけでも連言を表現できるからである。しかし、やはりこれも他の接続詞の装置と一緒に使うことが必ずしもできないので、我々の理解している連言と同じだと考えることはできないのである。この問題について、詳しくは、橋本(二〇一〇)を参照されたい。また、関連する議論が、橋本(二〇一二)の七・三・一節の(六)にある。
(37)ヴェン図は「愛する」のような関係を扱うことができない。これをパースはヴェン図の欠点のひとつに数え入れていた(Peirce, CP 4.356)。そこで、パースは「存在グラフ」と呼ばれる別の図形的な表象システムを考案した。これはすべての真理関数を構成することができるだけではなく、関係を表現することもでき、また、「すべてのものは誰かを愛している」のような多重量化も扱えるものであった(詳しくはShin 2002を見よ)。よって、表現能力という点において、本文で見たヴェン図のパースによる改良版よりも遥かに優れていると言える。そして、パースはこの存在グラフにおいても存在を表す「同一線(a line of identity)」と呼ばれる図形を導入していたのである(Peirce, CP 4.458)。しかし、存在グラフは、図形的とは言えるかもしれないが、ヴェン図とは異質な発想のもとで作られており(同一線も、存在を表すとはいえ、本文で見た「×」とは異なる働き方をする図形である)、もはやヴェン図の改良版とは見なすことはできないので、ヴェン図の考察を目的とする本論文では取り上げなかった。
(38)「簡潔さと単純性が幾分か失われる」(Venn 1881a, p. 130)。
(39)Venn 1881a, p. 130; p. 189参照.
(40)Venn 1881a, p. vii. なお、「Venn 1881a」は書籍を指示するための記号であり、「1881」は必ずしもその出版年を表すわけではない。文献表で注記したように、この記号は本論文では一貫して一八九四年出版の第二版を指示している。
(41)具体的には、特称命題の図形表象を論じた第二版の一三〇頁の第二段落から一三三頁の第一段落のすべてが第二版での追加である。追加箇所の冒頭には「ここには全称命題の説明しかないが、図形システムは特称命題も表象できるようになっていなければならない、という反論がきっとなされるだろう」とあるので、実際に初版の出版後にそういう反論がジョン・ヴェンに寄せられたのかもしれない。
(42)Peirce, CP 4.357.
(43)ただし、存在を表す記号を言葉で導入していたVenn 1883をパースが読んでいた可能性は残る(なにしろ、パース自身が編集した本に対する書評なのだから)。
(44)本文で述べたように、『記号論理学』第二版では存在を表す記号として数字が使われている。実は、初版の一一七頁でも図23のように数字が使われている。
図23
しかし、この数字は存在を表す記号ではない。そこでは、3個の全称命題「すべてのxはyかつzである、ないし、非yである」、「xyがzなら、それはすべてwである」、「いかなるwxもyzではない」を列挙して、この第一の命題は「1」が書き込まれたふたつの部分の存在を否定し、第二の命題は「2」の部分の存在を否定し、第三の命題は「3」の部分の存在を否定している、ということを述べるために数字が使われている。つまり、註(10)で見たアステリスクと同じように、ヴェン図の中のどの部分なのかを指示するために使われているのである。この図は第二版では一二七頁に現れるが(前後の文章もまったく同じままである)、図の中の数字だけが取り去られている。第二版では存在を表す記号として数字を使うことにしたからであろう。ここでも初版と第二版の両方を見ることが必要である。
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- ―――― 二〇二二、「名辞論理とヴェン図――ジョン・ヴェンの場合――」、『哲学・思想論集』四七号、一―二四頁。
謝辞
匿名査読者からの指摘によって、いくつかの箇所で論述を大幅に改善することができました。二人の査読者に感謝します。本研究はJSPS科研費JP22K00001の助成を受けたものです。助成に関わった方々に感謝します。
Who Invented Venn Diagrams?
Kouji Hashimoto
The obvious difference between Venn diagrams and Euler diagrams is that the former use “shade” and “X”. In Venn diagrams, a shaded compartment is meant to express that there are no entities that possess the property the compartment indicates, and “X” located in a compartment is meant to express that there exist some entities that possess the property the compartment indicates. In this paper, I investigate who invented these two devices. With regard to “shade”, it is commonly believed that John Venn introduced it first. However, as Venn himself pointed out, Hermann Scheffler used it independently at about the same time. With regard to “X”, many people seem to think that Charles S. Peirce was the first person to use it. However, as Amirouche Moktefi and Ahti-Veikko Pietarinen show, John Venn had already used numerals, not “X”, for expressing existence. The reason for the widespread misunderstanding is that the second edition of John Venn’s Symbolic Logic, in which he first introduced numerals for expressing existence, has been ignored.