記述の理論

〔英〕theory of descriptions

 ラッセルが1905年の論文「指示について」で提示した理論のことを指す。同論文では「指示句」(denoting phrase)と呼ばれる英語語法の分析が行われている。指示句には様々な種類があるが、基本的なものは(1)all で始まる名詞句、(2)a で始まる名詞句、(3)the で始まる単数形の名詞句の三つである。のちにラッセルは(2)を「不確定記述」、(3)を「確定記述」と呼ぶようになったので、彼自身は(2)と(3)の分析を記述の理論と考えていたと思われるが、現在では一般に(3)の分析のみが記述の理論と見なされている。しかし、ここでは、(1)から(3)をまとめて取りあげ、それをラッセルがどのように分析したのかを見る。

指示句の問題
 指示句がなぜ問題になるのかは指示句を含まない文と含む文を対比することによって明らかになる。
 まず例として文 Socrates is mortal を考えてみよう。これは主語+自動詞+補語という文法構造をしている。またその意味は、主語 Socrates が指している個物としてのソクラテスが、補語 mortal が指している必滅という性質を所有している、というように理解されている。次に上述した指示句(1)を含む文として All men are mortal を考えてみよう。この文の文法構造は先の文とまったく同じである。しかし、先と同じ方法で意味を考えることはできないように思われる。主語 all men が何を指しているか不明だからである。人間性という性質を指しているのだろうか。だが性質は滅ぶものではないし、この文の話者が人間性の必滅性を意味しているとは思えない。あるいは、すべての人間を要素として含む集合だろうか。しかし集合も抽象的な存在であることは性質と同様である。
 指示句(2)や(3)ではこうした問題は生じないと思われるかもしれない。たとえば、A man is mortal の主語 a man が何を指しているのか聞き手には不明かもしれないが、話者がソクラテスを指すことを意図しているとすれば何も問題はない。また、The teacher of Plato is mortal の主語 the teacher of Plato がソクラテスを指していることは間違いないことであり、この文はソクラテスの必滅性を意味していると考えることができる。しかし別の例では問題が生じる。A unicorn is mortal を考えてみよう。人間と違って一角獣は一匹も存在しないから、話者の意図がどうであれ、主語 a unicorn が何を指しているか不明である。また The teacher of Socrates is mortal を考えると、ソクラテスに師がいないとすれば、主語 the teacher of Socrates が何を指すのか不明となる。
 指示句を含む文は明らかに有意味だが、その意味を説明するのは、このように困難であるように思われるのである。

ラッセルの洞察
 ラッセルは問題が生じた原因はわれわれが日常言語の文法に惑わされている点にあると考えた。上では、指示句を含まない文と含む文が同じ文法構造を有していることから、両者の意味は同じ方法で理解されるべきであると考えて、困難に陥った。そこでラッセルは、両者の意味が有する構造はまったく別なのではないかと考えた。この意味構造の違いは、それを表現する日常言語の文法構造の同一性によって覆い隠されているのである。したがって、意味の構造を正確に反映した文法構造を持つ言語を人工的に作り出し、日常言語の文を人工言語の文へと翻訳することができれば、指示句を含んだ文の意味も人工言語の文法構造に則して説明できることになる。

人工言語の構成
 ラッセルが構成した人工言語の語彙には固有名、命題関数、真理関数結合子、量化子が含まれる。
 固有名 a, b, c, ... は日常言語と同様に個物を指す。命題関数 Fx, Gxy, ... は日常言語の動詞に相当し、性質や関係を指す(小文字 x, y は変数で、引数をいくつ取る関数であるのかを示している)。真理関数結合子 ¬、∧、∨、⊃ はそれぞれ日常言語の not、and、or、if..., then に相当し、論理的対象を指している。量化子 ∀xφx、∃xφx は命題関数の一種であり、したがってある種の性質を指しているが、通常の命題関数が固有名を引数に取るのに対して、こちらはそうした命題関数を引数に取る命題関数である(φxは命題関数が代入される変数である)。∀xφx は日常言語の all に相当するものだが、ラッセルはそれが指すものを「φxは常に真である」という概念(性質)であると説明している。∃xφx は不定冠詞 a に相当し、その意味は「φx はあるときには真である」という概念であるとされる。
 これらの語彙から文が形成される。形成規則の説明は省略するが、Fa、∀xFx、∀xFx⊃Fa、∃x(Fx∨Hx)、∀x∃yGxy などが適切に形成された文の例である。

日常言語から人工言語への翻訳
 日常言語の文 Socrates is mortal は人工言語の文 Ms に翻訳される。この文の意味は、固有名 s が指すソクラテスという個物は命題関数 Mx が指す必滅という性質を所有している、である。
 All men are mortal はどうなるのか。ラッセルはこの文は Ms とは文法構造がまったく異なった ∀x(Hx⊃Mx) に翻訳されるべきであると考える。この文の意味は、複合的な命題関数 Hx⊃Mx が指す性質(人間ならば必滅であるという性質)が ∀xφx が指す性質(φxは常に真であるという性質)を所有している、である。
 A unicorn is mortal も文法構造の異なる ∃x(Ux∧Mx) に翻訳される。意味は、複合的な命題関数 Ux∧Mx が指す性質(一角獣でありかつ必滅であるという性質)が ∃xφx が指す性質(φxはあるときには真であるという性質)を所有している、である。
 The teacher of Socrates is mortal はさらに文法構造が異なった ∃x(Tx∧Mx∧∀y(Ty⊃Ixy)) に翻訳される。この文の意味は、構造が複雑なため、今までと同じような仕方では説明しにくいが、原理的な困難はない。どの語彙も何を指しているのかが明らかにされているからである(Tx はソクラテスの師であるという性質を指し、Ixy は同一性関係を指している)。直観的に分かりやすい形で意味を説明すると、「少なくとも一つのものがソクラテスの師であり、かつ、必滅であって、また、たかだか一つのものだけがソクラテスの師である」となる。
 日常言語の指示句に相当するもの(何を指すのか不明な表現)は人工言語には存在しない。そうした人工言語の文へと翻訳されることにより、指示句を含んだ日常言語の文の意味は明瞭になるのである。

 指示句(1)と(2)の分析は今では常識になった。「記述の理論」と一般に呼ばれている(3)の分析も有力な説として生きているが、ストローソンらによる反論もあり、現在でもなお活発な議論を引き起こしている。

【主要文献】B. Russell, The Principles of Mathematics, Cambridge University Press, 1903; 2nd, George Allen and Unwin, 1937. B. Russell, “On Denoting”, Mind 14, 1905(清水義夫訳「指示について」,坂本百大編『現代哲学基本論文集I』勁草書房,1986).

(橋本康二)