真理表の哲学
  ——意味と真理と論理に関するラッセル的、ウィトゲンシュタイン的、ラムジー的考察——

橋本康二

1 真理表の問題

真理表は接続詞(ない、または、かつ、ならば等)を含む複合文の真偽が、その構成要素の文の真偽にどのように依存しているのかを示している。この真偽の依存関係がなぜ真理表に示されているようになっているのかを明らかにすることがこの発表の目的である。典型的には、「p」が真のとき「pということはない」はなぜ偽になるのか、を明らかにしたい(以下、この問いを「真理表の問題」と呼ぶ)。また、この問題の考察を通して、肯定、否定、選言、連言、トートロジー、矛盾等の意味を考えたい。

2 原子文の意味と真理

原子文(接続詞を含まない文)の意味と真理に関しては、初期ラッセル(Russell 1903, Russell 1904)の理論を採用して、これを本発表の考察の基盤にする。これは真理対応説の一般型と見なせる理論である(橋本 2000)。

原子文は名詞と形容詞・動詞からなる。原子的事態は個体と性質・関係から構成されたある種の複合体である。名詞は個体を名指し、形容詞・動詞は性質・関係を名指し、原子文は原子的事態を名指す。原子的事態は分析不可能な単純性質「真」か「偽」のどちらかを有する。原子文が真/偽であるのは、それが名指している原子的事態が性質「真/偽」を有しているときである。
3 実在説(Russell 1918-9, Chadwick 1927)

接続詞が名指すもの(論理的対象)の存在を認め、論理的対象を構成要素にした複合的事態の存在を認める。複合文は複合的事態を名指す。複合的事態も単純性質「真」か「偽」のどちらかを有する。複合文が真/偽であるのは、それが名指している複合的事態が性質「真/偽」を有しているときである。
真理表の問題に対する実在説の答は、世界の在り方がそうなっているから、となる。すなわち、「p」が真なら、これが名指す事態は真であり、そのとき「pということはない」が名指す事態は事実として偽になっているので、「pということはない」は偽である、というのが答である。

実在説の問題点

1)論理的対象や複合的事態の存在は信じがたい(Russell 1918-9)。

2)複合的事態が性質「真/偽」を有することがどのように認識されるのか不明。

3)トートロジーが単なる事実的真理となってしまう(Ramsey 1927)。

4 規約説

真理表の問題に対して、「p」が真のとき「pということはない」は偽になると我々が取り決めたから、「p」が真のとき「pということはない」は偽になるのである、と答える(Ayer 1936、他)。

規約説の問題点

文の真理を取り決めることは不可能。文が真/偽であるのは、文が名指している事態が性質「真/偽」をもつときである、という理論にとどまるとする。そうすると、「p」が真のとき「pということはない」は偽であるという取り決めを実行することは不可能である。実行するには、文「pということはない」が名指す複合的事態(そうした事態が存在しなければ、それをまず創造しなければならない)に性質「偽」をもたせなければならないが、我々にはその様な超能力は備わっていない。

新規約説(Black 1964)

文の真/偽を是認/否認と考える。
文の真理をこのように考えると、否定文に関する規約は次のようになる。
この規約ならば実行することは可能。超能力は不要。「p」が真なら、「pということはない」を否認するように社会的権力を行使して命令すればよい。

新規約説の問題点

是認/否認は自然的原因で発生することはあり得ないから、原子文の真/偽も次のような規約によると考えざるを得ない。
その結果、新規約説ではすべての真理が規約による真理となってしまうが、このような考えは受け入れられない。

5 所与説(Hacker 1972, Baker 1988)

原子文からなる言語が成立すれば否定文と連言文は既にその中で与えられている(したがって、トートロジーも言語と共に既に与えられている)。否定や連言のための接続詞を導入する必要はない。したがって、接続詞が名指しているとされる論理的対象を考える必要もない。
所与説の問題点

1)真理述語「真/偽」を対象言語に導入すると、2節の意味論・真理論は崩壊する(Russell 1903, 橋本1997)。文「ソクラテスは人間であるは偽である」が有意味であるためには、この文が名指す事態が存在しなければならない。
しかし、この事態が存在するということは、文「ソクラテスは人間である」が偽であることを意味している。これは明らかに現実と矛盾している(現実では、「ソクラテスは人間であるは偽である」有意味だが、「ソクラテスは人間である」は真)。

2)二つの文を併置して主張したとしても、併置主張の真偽とは何かの説明が与えられていないので、「pが真でqが真なら併置主張pqは真である」と有意味に語ることはできない。

3)選言や条件文は否定と連言の組み合わせに還元できるが(例:P or Q = non-(non-P and non-Q)、併置主張の否定が何を意味しているのか不明なので、この還元は実行不可能。

結論)所与説は真理表の問題に答えることが全然できない。

6 『論考』説(Wittgenstein 1922)

『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインは接続詞が名指しているとされた論理的対象の存在を明確に否定し、この否定を自らの「根本思想」と称した。そしてこのことは文を真理表に似た表で置き換えることによって明らかになると考えた。
しかし、この表が何を意味しているのかは、はっきりしない(Anscombe 1959)。以下、四つの解釈を取りあげ、それぞれの解釈で真理表の問題にどう答えられるかを検討し、その妥当性を考察する(『論考』解釈として正しいか否かということは問わない)。

6-1 主張解釈(末木1977、飯田1989)

「pということはない」は以下のような自己言及的な内容を主張している。
主張解釈の問題点

この主張が正しければ、確かに真理表の問題に答えることができる。しかし、正しくなければもちろん答えられない。そして、正しいという保証はどこにもない。

6-2 定義解釈(Fogelin 2003、他)

「pということはない」は、「p」が名指す事態が真ならば偽となり「p」が名指す事態が偽ならば真となるような、そのような唯一の事態X(英語なら定冠詞が付される事態)を名指している。したがって、「p」が真ならば、「p」が名指す事態が真であり、このとき、事態Xは偽であるから、事態Xを名指している「pということはない」は偽である。「p」が偽なら、同様にして、「pということはない」は真になる。

定義解釈の問題点

1)否定的事態が存在すれば、事態Xは否定的事態に他ならない。つまり、実在説を招き入れる可能性がある。

2)否定的事態の存在を認めないならば、このような特徴を持った唯一の事態Xが存在することは非常に疑わしい。一般に、少なくともひとつあるとは言いがたいし、多くてもひとつしかないとも言いがたい。

3)複合的事態の存在を認めないのであれば、トートロジーである「p、または、pということはない」は常に真となる原子的事態を名指していることになるが、そうした原子的事態が存在するとは思えない。矛盾に関しても同様。仮に存在したとしても、トートロジーや矛盾を事実問題に還元したことになってしまう。

6-3 ヴェン図解釈

『論考』の表はヴェン図(Venn 1880)を応用したものと見なせるのではないか、という新しい解釈を提示する。ヴェン図のアイディアは次の通り(以下の形而上学的道具立てはオリジナルにはない)。まず、可能個体のすべての集合を考える。可能個体とは、太陽やソクラテスや現代のフランス王などのことで、その内のあるもの(太陽、ソクラテスなど)は現実化しており、他の者(現代のフランス王など)は現実化していない。可能個体の集合の中に概念をn個導入する。すると、各々の概念を満たすか満たさないかに応じて、可能個体の集合は2^n個の部分集合へと分割される。
これらの図自体は文ではない。ヴェンはこれを文の「フレームワーク」と呼ぶ。フレームワークの任意の領域に影を付けると文になる(0個の領域に影を付けることも影を付けたと認めるので、全部で2^(2^n)個の文ができる)。図Aからは次の四つが得られる。
ある領域に影を付けるという行為は、その領域の中の可能個体はどれも現実化されていないということを主張する行為である、とヴェンは考えている。すると、図は以下のような文の代わりになる。
図2と図3の(直観的な意味での)真偽は、可能個体のどれが現実化されているのかを経験的に確かめないと分からない。他方、図1はア・プリオリに真だと言える。また、少なくともひとつの可能個体は現実化されているということを前提すれば、図4はア・プリオリに偽である。

上のヴェン図を表で書くと次のようになる。
ヴェン図の可能個体を可能世界、概念を事態に置き換えると、『論考』の「p」の表
は次のように解釈される。表の二行目一列の「真」は、文「p」が名指している事態(以下では「事態p」と呼ぶ)が性質「真」を有している可能世界の集まり、を名指している。三行目一列も同様(「真」を「偽」に置き換える)。三行目二列の「偽」は、三行目一列の中のどの可能世界も現実化されていない、と主張している。二行目二列の「真」は「偽」が書き込まれていないことを明示するためのただの場所取り記号。以上のことを明示すると次のようになる。
以下では単純に次のように書くことにする(「P」は「事態p」)。
否定、トートロジー、矛盾は次のようになる。
それぞれの文は次のような主張を行っていることになる。
しかし、この解釈はまだ満足行くものではない。ヴェン図で影を付けることを解釈する際に「主張」という不明瞭な概念に依存していたからである。その結果、トートロジーや矛盾の解釈で明らかなように、説明項で連言や選言を無批判に用いていて、複合文の説明としては循環してしまっている。そこで、最後に、『論考』の表の右端(上の図の○とX)に対して、次のように非循環的な説明を与えなければならない。
イメージとしては、文からは複数の糸が出ていて、その各々の終端が可能世界の集合に結び付けられている、と考えてもらいたい。文の真理は次のように定義される。
たとえば、選言文「pまたはq」は我々の解釈では次のように表記される。
この文は、事態pもqも真である可能世界の集合、事態pが真でqが偽である可能世界の集合、事態pが偽でqが真である可能世界の集合、に糸で結び付けられたレッテルである。これらの可能世界の集合のどこかに現実化されている可能世界が存在すれば、この文は真になる。存在しなければ、この文は偽である。

以上の解釈によると、真理表の問題に対しては次のように答えることができる。「p」が真ならば事態pが真である可能世界のどれかが現実化されている。よって、事態pが偽である可能世界のどれも現実化されていない。よって、「pということはない」は偽である。可能世界のどれかひとつは現実化されているというのが前提であるので、トートロジーはア・プリオリに真、矛盾はア・プリオリに偽である。

ヴェン図解釈の問題点

文がある種の可能世界の集合の複数に対して貼られたレッテルであるということの意味が直観的に理解しがたい。また、その中のどこかに現実世界があれば文が真になるということの意味も理解しがたい(我々が直観的に理解している真理概念を捉えているとは思えない)。2節で見た意味論・真理論は、文は事態の代理物であるという直観的説得力を持っていたが、それがヴェン図解釈では欠けている。

6-4 プラグマティズム解釈

ラムジー(Ramsey 1927)は『論考』の言語論はプラグマティズムで補完されなければならないと考えた。具体的には、『論考』の表の○とXに対して、ラムジーは「同意(agree)」、「不同意(disagree)」という心理的解釈を与え、その内実を行動への傾向性であると規定した。ラムジーのアイディアに沿って真理表の問題に答を与えたい。

文は任意の主体が持つ特定の心理状態(信念)を名指す名前である(これはラムジーの考えとは異なる)。文
が名指す信念は、事態pが真である可能世界の集合に同意し、偽である可能世界の集合に同意していないような心理状態である。この心理状態は具体的には次のようになる。しかるべき条件Cのもとで、行動aが有用であるための必要十分条件は事態pが真であることであり、行動bが有用であるための必要十分条件は事態pが偽であることであるとする。すると、事態pが真である可能世界の集合に同意するとは、条件Cのもとでは行動aを行おうとする傾向性を持つことであり、事態pが偽である可能世界の集合に同意しないとは、条件Cのもとでは行動bを行わないという傾向性を持つことである。次に、ラムジーはこの一歩を踏み出さなかったのだが、「真理=有用性」であると見なす。
最後に、信念が真である(有用である)とき、この信念を名指す文は真であると考える。

文「雨が降っている」を考えよう。外出するという条件のもとで、雨傘を持って行くという行動が有用であるための必要十分条件は事態「雨が降っている」が真であることであり(雨傘は雨のときの酸性雨をブロックできるが雨でないときの紫外線はブロックできない)、日傘を持って行くという行動が有用であるための必要十分条件は事態「雨が降っている」が偽であることであるとする(日傘は雨でないときの紫外線をブロックできるが雨のときの酸性雨をブロックできない)。文「雨が降っている」が名指す信念は、外出するときに雨傘を持って行くが日傘は持って行かないという傾向性である。文「雨が降っているということはない」が名指す信念は、外出するときに雨傘は持って行かないが日傘は持って行くという傾向性である。文「雨が降っている」が真だとする。すると、この文が名指す信念が引き起こした雨傘を持って行くという行為は有用である。これが有用であるということは、事態「雨が降っている」が真だったのである。このとき、事態「雨が降っている」は偽ではない。よって、日傘を持って行くという行為は有用ではない。したがって、この行為を導く信念は偽である。よって、この信念を名指している文「雨が降っているということはない」は偽である。このように、ラムジー解釈では真理表の問題に答えることができる。

ラムジー解釈の特徴

1)肯定、否定、選言、連言の間に本質的な差異を認めない。

2)トートロジー「雨が降っている、または、雨が降っていることはない」が名指す信念は、外出するときに雨傘も日傘も持って行く傾向性である。この信念は、雨が降っていれば雨傘で酸性雨をブロックできるから有用であり、雨が降っていなければ日傘で紫外線をブロックできるから有用である。したがって、常に真(有用)である。矛盾「雨が降っている、かつ、雨が降っていない」が名指す信念は、外出するときに雨傘も日傘も持って行かない傾向性である。雨が降っていれば酸性雨でダメージを受け、雨が降っていなければ紫外線でダメージを受けることになる。よって、常に偽である。トートロジーも矛盾も信念状態として肯定、否定、選言、連言と何ら本質的な違いはない。

ラムジー解釈の問題点

任意の文が名指す信念が常に存在すると言えるのか疑問。



厳密な議論は、第1節から第4節に関しては橋本2008、第5節と第6節に関しては橋本2009を参照せよ。

文献

Anscombe, G. E. M. 1959. An Introduction to Wittgenstein’s Tractatus. Hutchinson University Library. 3rd edition, University of Pennsylvania Press, 1971. References to the latter.
Ayer, A. J. 1936. Language, Truth and Logic. Victor Gollancz Ltd.
Baker, G. 1988. Wittgenstein, Frege and the Vienna Circle. Basil Blackwell.
Black, M. 1964. A Companion to Wittgenstein's ‘Tractatus’. Cornell University Press.
Chadwick, J. A. 1927. “Logical Constants”, Mind, n.s. 36: 1-11.
Fogelin, R. 2003. Walking the Tightrope of Reason. Oxford University Press.
Hacker, P. M. S. 1972. Insight and Illusion. Clarendon Press. Revised Edition, 1986. References to the latter.
Ramsey, F. P. 1927. “Facts and Propositions”, Aristotelian Society Supplementary Volume 7: 153-70. Reprinted in his Philosophical Papers, edited by D. H. Mellor, Cambridge University Press, 1990, 34-51. References to the latter.
Russell, B. 1903. The Principles of Mathematics. Cambridge University Press. 2nd edition, George Allen and Unwin, 1937. References to the latter.
------ 1904. “Meinong’s Theory of Complexes and Assumptions”, Mind, n.s. 13: 204-19; 336-54; 509-24. Reprinted in his Essays in Analysis, edited by D. Lackey, George Allen and Unwin, 1973, 21-76. References to the latter.
------ 1918-9. “The Philosophy of Logical Atomism”, Monist 28: 495-527; 29: 32-63; 190-222; 345-80. Reprinted in his Logic and Knowledge, edited by R. C. Marsh, George Allen and Unwin, 1956, 177-281. References to the latter.
Venn, J. 1880. “On the Diagrammatic and Mechanical Representation of Propositions and Reasonings”, The London, Edinburgh, and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, S. 5, Vol. 9, No. 59: 1-18.
Wittgenstein, L. 1922. Tractatus Logico-Philosophicus. Routledge and Kegan Paul.

飯田隆、1989、『言語哲学大全 II 意味と様相(上)』、勁草書房。
末木剛博、1977、『ウィトゲンシュタイン論理哲学論考の研究 II 註釈編』公論社。
橋本康二、1997、「ラッセルの最初の真理論」、『哲学論叢』二四号、六四—七五頁。
———— 2000、「真理対応説の再検討 ——真理と対応(一)——」、『哲学・思想論集』二六号、三九—六〇頁。
———— 2008、「真理表の哲学 ——意味と真理と論理に関するラッセル的、ウィトゲンシュタイン的、ラムジー的考察—— (一)」、『哲学・思想論集』34号(掲載予定)。
———— 2009、「真理表の哲学 ——意味と真理と論理に関するラッセル的、ウィトゲンシュタイン的、ラムジー的考察—— (二)」、『哲学・思想論集』35号(掲載予定)。