娘である小式部内侍は亡くなってあの世に行った。その彼女は今、この世に残していった母親である私と、子どもである孫たちとどちらを、深く愛惜の思いを持ってあの世から見つめていることであろうか。それは、きっと孫たちであるに違いない。なぜならば、私も親を失ったときの悲しみより、今こうしてわが子を失った悲しみに出会って、はじめて親が子を思う思いの深さに気がついたからである。

 つたない訳であるが、意訳すればこういうことになろうか。文学はここにおいて人の「心」を知らしめる。また、人は文学によって親子の愛の深さに覚醒せしめられるのである。
 ともすれば、高校生たちは古典について現代と隔絶された無縁の存在として、たんに受験科目としてあるから強制されて仕方なく学習するものとして考えがちである。また、古典文法にしても無意味な知識の暗記の反復だと誤解している者も多い。
 この一首に出会わせると、多くの生徒たちはその誤解に気がつく。そのとき生徒たちには文学への「学び」の種が蒔かれるのである。その実態を以下の感想からお酌み取りいただければ幸いである。

 作品と読み手の間の一文字の空間によってコミュニケーションの内容が変わり、その一文字に自分の伝えたい感情を最もよく表している文字を持ってくる詩人。詩人というものを甘く見ていたが、実はとてもすごい人たちなのだと気づかされた。   3年男子

 助詞・助動詞というたった一語・二語に秘められた力に驚嘆させられました。そして和泉式部の歌を深く考えた時に、なぜかじーんときてしまいました。   3年女子

 文学というのは、文章や物語を研究するだけだと思っていたけれど、そうではなて、もっと人としての基本的なものを忘れないためにやるものだと思った。文学は思っていた以上にずっと大きくて広いもので、私ももっと文学について色々知って、考えてみたいと思った。文学について考えることができるのは人間だけなので、私はせっかく人間に生まれたんだし、もっと文学について知りたいと思う。人がヒトではなく、人として生きていくために文学は必要なのだと思った。   1年女子  

前へ 1 2 3 4 5 6 7 次へ

目次へ