そして、ここから私なりに「文学」の必要性を語るわけであるが、先ほども申し上げたように、並み居る碩学の目に触れるこうした雑誌に書いて披見するほどの私見ではないし、そこまで破廉恥漢でもないので、本誌を読んだ学生諸君には何かの折に私に聞いていただければ、時間と精神的余裕があるかぎり口頭で申し上げたいと思う。
とはいえ、ここでいささかの披見もしないままでは、また例のごとくいらんおしゃべりをしてきてお茶を濁してきたのだろうと痛くもない腹を探られかねないので、ここにその一部をお示しすることとする。

 『後拾遺和歌集』哀傷部に

   小式部内侍亡くなりて後、孫どものはべりけるを見て、詠みはべりける
                                         和泉式部
   とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子は勝るらむ子は勝りけり

という一首がある。小式部内侍は「小倉百人一首」の「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天橋立」の歌で知られる才媛である。この「大江山」の歌にまつわる『十訓抄』での小式部内侍と藤原公任の息子定頼中納言との挿話は、高等学校の古文の教材にもしばしば取り上げられる有名な話である。小式部内侍は才媛であったものの28歳前後で夭折する。その折に母である和泉式部が詠んだ一首である。和泉式部はいうまでもなくわが国の平安期を代表する女流歌人である。彼女の恋の歌は広く知られているものの、このような哀傷歌についてはあまり知る人もいないであろう。
 しかし、この歌こそ彼女の名歌の代表の一つに挙げられてしかるべきだと考える。というのは、下の句の「勝るらむ子は勝りけり」に文学表現の蘊奥を見るからである。文法的に言えば「らむ」と「けり」、わずかに2語の入れ替えで和泉式部は自らの心底の慟哭を表現しているからである。

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