主要論文の要約


  • 「朝鮮儒家の葬礼と死後観−『文公家礼』による廬墓古俗の変異」(岩波書店『思想』通巻808号、1991年1月)

      朝鮮の李朝では、文公家礼(朱子家礼)に基づく教化政策が行われ、社会構造が改造された。李朝の初期まで、統治階級の間では廬墓といい、第一次埋葬所の傍らに仮小屋を建て、三年間の居住が慣習であったが、朱子家礼の教化政策により、これを自家での丸二年と一日の服喪(三年喪)に入れ替えることが強制された。本論文ではこの政策過程を解明し、儒者官僚たちの政策立案について論じた。


  • 「儒礼教化以前朝鮮葬祭法復元攷」(朝鮮学会『朝鮮学報』第152輯、1994年7月)

      儒者官僚によって民衆に教化された儒教の儀礼が朝鮮社会をどのように改造したかは、外来文化の教化が伝統の民俗と衝突し、折衷型の社会が生じた後の史料をもとに、実証的に遡及しなければならない。本論文では、李朝の仏教徒弾圧・シャーマンの駆逐などの他宗教弾圧政策を含め、統治階級の実施する教化政策の結果から、その以前の社会を復原する作業を行い、イデオロギー教化の社会変革に及ぼす効果を論じたものである。


  • 「北朝鮮における宗教国家の形成−大衆教化の技術的側面を中心に」(『筑波法政』第20号、1996年3月)

      1991年、ソ連の原油輸入減少は、北朝鮮経済に大打撃を与えた。本論文では、その状況を、商業部門の人員の生産部門への大幅な異動と経済が自給自足へと後退していく過程で検証した。又世界的な社会主義体制の崩壊の中、北朝鮮が差別化を試み、伝統の思想や宗教でイデオロギー武装し、宗教国家化していく過程を論じた。この神国不滅の延長上に、後日軍国主義路線が採択されることになる。


  • 「普遍的世界観の終焉と宗教ファシズムの冒険」(駒井洋編『社会知のフロンティア』(新曜社)、1997年11月)

      ソ連邦と東欧諸国の社会主義体制の崩壊は、世界に冷戦の終焉という事態をもたら した。しかしアジア地域では、北朝鮮が今もなお社会主義を堅持している。本論文では、冷戦後の世界において北朝鮮が体制を維持するため、朱子学、風水信仰、檀君教、国体論などの諸宗教、諸思想を総動員し、新たな宗教国家という支配体制を確立しつつあることを論じた。


  • 「東アジア中華思想共有圏の形成−『儒教文化圏』論の解体と超克」(駒井洋編『脱オリエンタリズムとしての社会知』(ミネルヴァ書房)、1998年11月)

      中国の中華思想に対抗して、ベトナムでは15世紀に南国意識が生まれ、朝鮮では17世紀に小中華思想が生まれ、日本では18世紀に皇国意識が生まれた。いずれも自国を文化の中心とし、周囲の諸国を夷狄視する外交関係を目指すものである。本論文では、これらのパラダイムが、東アジア諸国の競争力に貢献する反面、東アジア経済圏の形成を阻害していることを指摘し、従来の儒教文化圏論の超克を問題にした。


  • 「北朝鮮の三胎子褒賞−『創られた伝統』としての思想教化」(東アジア地域研究学会『東アジア地域研究』第6号、1999年7月)

      本論文ではホブズボウムの「創られた伝統」論を適用し、北朝鮮が共同体や権威の危機に対し、東アジアの伝統を意図的に復活し、教化政策を実行している現状を解明した。三つ子の誕生を吉兆として褒賞する伝統は、中国・朝鮮・日本で古代中世より見られ、日本では綱吉の時代に復活され影響は明治初期に及んだ。「公」の危機を「私」への恩恵で乗り切る伝統は、東アジア地域において統治手段として活用されてきたことを実証した。


  • 「李朝儒礼教化政策史研究−儒教思想の政治的実践と破綻に関する一考察−」[博士(法学)論文](2000年3月)

      前期(14世紀〜)・後期(17世紀〜)から成り、前期では、教化政策と伝統習俗との衝突、折衷型の儒礼の定着を述べた。後期では、埋葬政策の完成の結果、宗族間の墓地争いが起き、統治階級による土地強奪も生じて訴訟が頻発した。又法典と司法の不備、行政官の専横等により、李朝末期の地方行政が紊乱した過程を述べた。李朝の儒礼教化政策史に関する初の体系的研究論文である。


  • 「金正日『種子論』について−有機体的生命観の濫觴から『軍民一致』授軍美風教化まで−」(日韓共同研究叢書第七巻『金正日体制の北朝鮮』、慶應義塾大学出版会、2004年)

      1970年代、宣伝扇動分野から登場した金正日は、師の黄長Yからドイツ観念論経由ですでに有機体的生命観を受容し、それを「種子論」という形で展開していた。有機体的生命観はやがて1980年代後半、金正日「社会政治生命体」となって結実する。その後、1990年代の大自然災害を経て疲弊した北朝鮮は、軍国主義の恐怖政治でこの危機を乗り切ろうとするが、「社会政治的生命体」はこの過程で、脳髄(将軍)、中枢(軍)、細胞(人民)へと変化し、2000年に入るやあらたな種子論が登場する。